中山太郎元外相が死去 98歳 初代・衆院憲法調査会長が死去

衆院憲法調査会の初代会長や外相を務めた中山太郎(なかやま・たろう)元自民党衆院議員が15日、老衰のため死去した。98歳。葬儀は近親者で営んだ。自宅は堺市西区浜寺昭和町2丁289。喪主は長男譲治(じょうじ)さん。

旧制大阪高等医学専門学校(現・大阪医科薬科大)卒業後、大阪府議を経て1968年参院選で初当選。80年に鈴木内閣で総務長官兼沖縄開発庁長官として初入閣。86年衆院選でくら替えし、旧大阪5区で当選。89年、海部内閣で外相に就任した。

外相時代の91年に湾岸戦争が起き、自衛隊の海外派遣を巡って国会が紛糾。政府・自民党が目指した終戦前の自衛隊派遣は実現せず、この経験などから憲法改正に積極的に取り組むようになった。

超党派の憲法調査委員会設置推進議員連盟の会長を引き受け、衆参両院の憲法調査会設置に尽力。2000年に衆院憲法調査会の初代会長に就き、05年に設置された衆院憲法調査特別委員会の委員長を含め、07年まで7年間、国会の憲法論議の責任者を務めた。

憲法に関する国会審議では「少数意見を尊重し、国民の多様な意見を知る」として、各会派に対し所属議員数に関わらず発言機会を平等に確保した。こうした運営方法は後身の衆参憲法審査会に引き継がれ、現在も続いている。

医師でもあり、97年に成立した臓器移植法の議員立法でも中心的な役割を果たした。

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