リベロのポジション編み出した「皇帝」 ベッケンバウアーさん死去が死去

20世紀のサッカー界を照らしたともしびが、また一つ消えた。元西ドイツ(当時)代表のフランツ・ベッケンバウアーさん。2022年12月に「サッカーの王様」とうたわれた元ブラジル代表のペレさんが82歳で亡くなった際、「サッカーは歴史上最も偉大な人物を失った。そして私は唯一無二の友人を失った」と追悼していたが、約1年後、78歳で亡くなった。

20年に60歳で亡くなった元アルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナさん、16年に68歳で旅立った元オランダ代表のヨハン・クライフさんを含め、偉大な選手として名前が挙がる。その中で、指導者としても世界の頂点に立った点が際立っていた。

選手としては冷静沈着、背筋の伸びた姿勢と華麗なプレーでチームを統率し、「カイザー(皇帝)」と呼ばれた。ディフェンダーとして自陣のゴール前を守るだけでなく、時には攻撃にも参加する「リベロ(イタリア語で自由)」のポジションを編み出した。

自身3度目のワールドカップ(W杯)出場となった1974年西ドイツ大会では母国に2度目の優勝をもたらした。決勝ではクライフさんを中心に全員守備、全員攻撃の「トータルフットボール」を完成させた優勝候補のオランダを破り、「強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ」と語った。2人は現代サッカーの潮流をつくったと言われる。

長年所属したドイツ1部バイエルン・ミュンヘンでも数々のタイトルを獲得。現役の終盤には北米リーグのニューヨーク・コスモスでペレさんとチームメートになった。

西ドイツ代表監督としては86年W杯メキシコ大会で準優勝し、90年W杯イタリア大会では3度目の優勝に導いた。地元開催の06年W杯ドイツ大会では組織委員会会長として奔走した一方、同大会を巡って後に招致に絡む買収疑惑が取り沙汰された。

近年は健康上の問題で苦しんでいたというが、ドイツ・サッカー連盟の公式サイトで現ドイツ代表のユリアン・ナーゲルスマン監督は「最後まで揺るがないオーラがあった」とし、「ベッケンバウアーはドイツ史上最高の選手だった。彼によるリベロの役割の解釈は試合を変えた」とも語った。

1930年に始まったW杯で、選手、監督の両方で優勝したのは3人しかいない。70年メキシコ大会で初めて達成したブラジルのマリオ・ザガロさん、18年ロシア大会で成し遂げたフランスのディディエ・デシャン氏。その一人、ザガロさんが5日に92歳で亡くなった直後の訃報となった。【江連能弘】

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