今年も活躍した芸人、芸能関係者がこの世を去った。演芸プロデューサーの中村真規さんに思い出の方について語ってもらった。【油井雅和】
――手品師の松旭斎すみえさんは、ポール・モーリアの「オリーブの首飾り」を最初にBGMに使ったマジシャンでした。今でもこの曲を使うマジシャンは多いですね。
◆私が接した頃から使っていたのかと勘違いしてました。軽妙なおしゃべりを取り入れた「おしゃべりマジック」は最後にちょこっとだけ音楽が鳴るんです。最初に見た1971年の頃の曲は覚えていませんが、「オリーブの首飾り」は75年のリリースでしたね。
デュエット奇術、複数の女性で始めたのもすみえ先生ですね。その頃の名前は「サンパインシスターズ」。松旭斎の松(パイン)と旭(サン)をひっくり返して付けたんですね。20代の女性ですから、キャバレーなどでうけてたでしょうね。売れっ子だったそうです。
松旭斎といえば「奇術」ですが、すみえ先生は新しい「マジック」を演じてきた人です。(奇術師の)アダチ龍光先生は「奇術」と言っていましたが、すみえ先生は自ら「手品」って言ってましたね。
――春日三球さんは、「三球・照代」の夫婦漫才で、「地下鉄漫才」は大人気でしたね。「地下鉄の電車はどっから入れたんでしょうね。それ考えると一晩中眠れなくなっちゃう」には、地下鉄会社に問い合わせる人もいたようですね。
◆地下鉄漫才は寄席で火がついたんですよ。「線路は続くよどこまでも」を歌ってからの音曲漫才から、あの地下鉄漫才になって、寄席も笑いが大爆発ですよ。他のネタも面白かったんですよ。漫才ブームが起こる前ですよね。
――三球さんは「クリトモ一休・三休」でコンビを組んだわけですが、1962年の国鉄常磐線の三河島駅構内で起きた列車事故(三河島事故)で一休さんを失い、その後は夫婦漫才で人気を得たものの、照代さんが51歳の若さで亡くなり、悲運が続きました。
さて、空席が少なく右肩上がりになるようにと隙間(すきま)を少なく書く「橘流寄席文字」。橘右橘(うきつ)として活動する中村さんにとっての兄弟子にして総領弟子の橘左近さんの訃報を年末にうかがいました。よく新宿・末広亭で左近さんの姿をお見受けしました。
◆信州は飯田の出身で、落語が好きになり、高校生の頃は土曜日の授業が終わると夜行列車に乗って新宿・末広亭までやってきて、また夜行列車で帰っていくということをしていたようです。東京の大学へ入って、古今亭志ん生の今で言う「追っかけ」をしてたんですね。
結核で大学を中退し長野に戻った後、完治してデザイン会社で働きながら寄席通いと噺家(はなしか)の系図研究をするようになりました。落語研究家でもあった六代目柳亭燕路(えんじ)から「(橘)右近のところへ行った方がいいよ」と勧められ、これが入門のきっかけになったといいます。
私も「あの寺に行くと、この噺家の墓があるから調べてきてくれ」と言われたことがあります。あれは、一緒に系図研究をやらないか、という誘いだったんでしょうね。
立川談志さんとは若い頃からの付き合いで、談志師匠も寄席文字が好きだったので、「笑点」の前身番組、「金曜夜席」から今でも橘流寄席文字を番組は使ってくれています(舞台中央の「笑点」の文字は左近さんの筆)。
いつも「ありがとう」と他人への感謝を忘れない兄弟子でした。
<2月>
笑福亭笑瓶 66 2・22 落語家、タレント。10月に私落語2席を収録した追悼盤CDが発売された。
<3月>
橘家二三蔵 77 3・30 落語家
<4月>
久保田剛史(インデペンデンスデイ) 36 4・18
<5月>
3代目平和ラッパ 79 5・5 音曲漫才師
いなせや半七 64 5・11 落語家
春日三球 89 5・17 漫才師
上岡龍太郎 81 5・19 2000年に芸能界引退後も落語会などに足を運んでいた。
浅草駒太夫 82 5・22 ストリッパー。花魁ショーのストリップで一時代を築き、引退は毎日新聞でも報道された。晩年は浅草で喫茶「ベル」を経営した。
須藤理恵(青空) 45 5・22 お笑い芸人
奥山侊伸 84 5・24 放送作家
藤浦敦 93 5・28 映画監督、落語作家
<6月>
永谷浩司 95 6・21 永谷商事創業者。お江戸日本橋亭、お江戸上野広小路亭など永谷ホールを東京都内で運営。
古今亭八朝 71 6・26 落語家。志ん朝門下。田宮二郎主演のドラマ「高原へいらっしゃい」(1976年・TBS)にバーテンダー役で出演。
<7月>
真山誠太郎 77 7・1 浪曲師
二代目京山小円嬢 92 7・6 浪曲師。関西女性浪曲の第一人者として活躍。
<8月>
桑原和男 87 8・10 俳優。吉本新喜劇では和子おばあちゃん役で親しまれた。
松旭斎すみえ 85 8・12 手品師
おかゆうた 61 8・22 漫才師。おかけんた・ゆうたのコンビで心斎橋筋2丁目劇場でブレークし、上方漫才大賞も受賞した。
美濃部美津子 99 8・26 古今亭志ん生の長女でマネジメントも務めた。十代目金原亭馬生、古今亭志ん朝は弟。著書に「志ん生一家、おしまいの噺」「三人噺」など。
ジョニー広瀬 75 8・26 マジシャン
<9月>
ヨネヤマママコ 88 9・20 日本のパントマイムの第一人者
えざお(カントリーズ) 40 9・21 お笑い芸人
<10月>
古今亭志ん橋 79 10・8 落語家
財津一郎 89 10・14 俳優。吉本新喜劇から東京に拠点を移し個性派俳優として活躍。「タケモトピアノ」のCMも話題に。
犬塚弘 94 俳優。「ハナ肇とクレージーキャッツ」最後の存命メンバーだった。10月27日判明。
三遊亭左円馬 79 10・27 落語家
ティーチャ(めいどのみやげ) 88 娘のサッチィーとコンビを組み、芸名は元教諭であることから付けた。10月23日判明。
<11月>
大瀬ゆめじ 75 11・26 漫才師。大瀬ゆめじ・うたじのコンビで、話題がかみ合わないまま進む「平行線漫才」をネタにした。
<12月>
津田和明 89 12・2 元サントリー副社長。日本芸術文化振興会理事長を務めた。
島崎俊郎 68 12・6 タレント。3人組「ヒップアップ」の青春ドラマ風コントが80年代前半、若い女性中心にうけた。
橘左近 89 12・12 橘流寄席文字書家
須田泰成 55 12・27◯コメディー作家、プロデューサー。東京都世田谷区経堂でイベント酒場「さばのゆ」を経営。まちおこしや震災被災者支援も手掛けた。