父親らしい葬儀の形とは?

お葬式エピソード

もう既に5年あまりが経ちますが、父親が亡くなった時に喪主を務めることになりました。いくら、入院していたとはいえ、突然の死に直面してしまったことで、私自身、かなりドギマギしてしまいました。母親はいますが、私以上に父親が亡くなったことへの落胆ぶりは大きく、一連の葬儀の準備や手配も依頼できるような状況ではありませんでした。

全ては長男である私に降りかかってきたといっても良いかもしれません。私は、とにかく病院からの連絡を受けてからてんやわんやの状態となります。父親が亡くなったという悲しみや切なさをかみしめているような余裕は何一つありませんでした。

私はとりあえず、地元の葬儀業者に連絡して、一連の葬儀の取り計らいを依頼します。驚いたことに、葬儀業者には私以外にも葬儀の相談や依頼が殺到している状況で、長時間待たされることを余儀なくされました。ここでも、高齢化社会の進行を実感することができました。
そうこうしているうちに、我が家の葬儀を取り仕切ってくれる担当者が決まり、ホッとしました。正直、誰もがそうかもしれませんが、葬儀は慣れていないため、四苦八苦することになります。何もかもが、担当者の言いなりに進むことになってしまい、選択したことといえば、およそ80万円にのぼった葬儀のグレードだけだったのではないでしょうか。何しろ、菩提寺への連絡や僧侶の手配、近隣への挨拶などに忙殺されてしまい、父親の遺志を葬儀に反映させることはできませんでした。
今振り返ってみれば、もう少し父親らしさを出した葬儀にしてあげれば良かったと後悔しています。なぜなら、葬儀は故人が人生の中で最も輝く場所だと思うからです。生きているうちは、お互いに照れくささや口には出すことができない思いがあるのも当然かもしれません。私自身、葬儀が終わってからあれこれと考えてみましたが、今となっては、葬儀は自らでプロデュースできるものだということがわかりました。
もちろん、葬儀ですから、お祭りごとではないことはわかりますが、「その人らしさ」を随所に盛り込むことも必要といえるでしょう。生前、父親はガーデニングや植木などを好んでしていました。ですから、そんな一面がわかるような飾り付けなどを全面的にしてあげた方が喜ぶのではないかと思います。もちろん、参列者の中には、旧態依然とした考えを持つ人も多いかもしれません。とりわけ、高齢者からは過度に派手な葬儀を嫌うケースもあるでしょう。でも、そのような人たちにも、喪主を務める私が丁寧に説明することによって理解してくれるはずです。とはいえ、気になるのは費用ではないでしょうか。日本人の悪いところは、しっかりとかかる費用や見積りなどについて、ついつい後回しにしてしまうところです。このような事態を考慮して、生前のうちに、ある程度の費用や予算を明示しておくことも必要です。父親の葬儀での後悔を糧として、次に訪れる葬儀を成功させるつもりです。