黒土始さん死去 タクシー最大手「第一交通産業」を育てた理念が死去

第一交通産業を創業した黒土始さんが17日、101歳で亡くなった。保有台数約8200台と国内最大のタクシー会社を育てた黒土さんは、現場主義で常に客と従業員の幸せを追い求めた。

大分県中津市の農家出身。中国で従軍した際、中国人を相手に軍需物資を調達し商売の面白さを知った。戦後、復員し商店や運送会社を経営したが、軌道には乗らなかった。

1960年、小倉市(現・北九州市)に5台のタクシーで創業した。客を大事にすることを第一に、従業員教育に熱心だった。ある風雨の日、得意先への配車指示を無視し、道路脇で手を上げる客を乗せ売り上げを優先させた乗務員がいた。黒土さんは、得意げに営業所に戻った乗務員から売上金が入った袋を取り上げて床にたたきつけ、「雨の日ならなおさらお得意さまを優先しろ」と厳しく叱った。

そんな黒土さんに「運転免許は持っていない」と聞かされ、驚いたことがある。理由を尋ねると、「お客さんの立場で考えられるから」と穏やかな笑顔で応じてくれた。

会社はM&A(企業の合併・買収)でタクシー事業を拡大したが、経営難のタクシー会社には地域の足と雇用を守るという姿勢を貫いた。また、効率的な無線配車など事業を近代化させた。タクシーチケットや介護タクシーの導入などサービス重視の精神は、娘婿の田中亮一郎社長に受け継がれた。

分譲マンション開発や老人ホーム運営など暮らしに身近な事業を展開。「豊かな生活をしてもらえれば地域が繁栄する」との理由だ。

「努力は天才に勝る」が信条。2022年4月、会長退任の記者会見では「生涯現役をモットーに経営の最前線に立ってきた。これまで以上に地域社会や経済発展に尽力したい」と感謝を語った。

17年の九州北部豪雨で被災した大分県の復興、北九州市の交通安全対策など寄付にも力を入れた。全国の中小企業を表彰する基金を設立するなど社会貢献への熱い思いを持ち続けた。【石田宗久、成松秋穂】

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