「この子たちはまだ全国大会までの1カ月半で伸びますよ」。2018年11月に長崎総合科学大付高が全国高校サッカー選手権への切符を手にし、監督だった小嶺忠敏さんが相好を崩した姿が今も印象に残る。
1968年に母校の長崎県立島原商高で高校教員となった。84年に赴任した同じ島原半島にある県立国見高では、学校近くの民家を借りて生徒と一緒に暮らし、自費で購入したマイクロバスを運転して全国の強豪校へと遠征を重ねた。
小嶺さんが率いる国見高の強さを体感したことがある。私が長野県の公立高2年でサッカー部だった時、静岡であった強化試合に国見高も出場していた。国見高のAチームは高校総体に出ているため、強化試合に来たのは恐らくBチームだったはずだ。リーグ戦で1日数試合をこなして疲れ果てた私たちがバスに乗り込む中、走って宿舎まで帰る国見高の生徒の姿に「勝てるわけがない」と思った記憶は今も鮮明だ。
病魔と闘っていた21年11月、痩せた姿で関係者に支えられて移動する小嶺さんの姿が長崎のグラウンドにあった。最後まで行動力と情熱をサッカーに傾けた指導者が残した04年の言葉だ。「指導法に終着駅なしやね。死んだときが終着駅」【浅野翔太郎】