「部員全員を息子のように…」 長崎で小嶺忠敏さんを惜しむ声が死去

国見高サッカー部を全国屈指の名門に育てた名将、小嶺忠敏さん(76)=現長崎総合科学大付高サッカー部監督=が7日、亡くなった。サッカーのクラブチーム「V・ファーレン長崎」社長や県サッカー協会会長を務めるなど県内サッカーの普及・発展に尽力した小嶺さん。関係者からはその功績をたたえる声や死を惜しむ声が相次いだ。

「痛恨の極み。また元気になってグラウンドに戻ってきてくれると思っていたのに」。長崎総合科学大付高の松本浩校長は肩を落とした。同校サッカー部は今冬の全国高校サッカー選手権に出場。1、2回戦を突破したが、小嶺さんは体調不良で欠場した。松本校長は「頑張ればいつか(小嶺さんが)試合会場に来てくれるという思いで選手は頑張っていた」と振り返り、「生徒たちには小嶺さんの遺志を継いで、サッカーも学校生活も頑張ってほしいと伝えたい」と悼んだ。

小嶺さんは国見高を全国高校サッカー選手権で戦後最多タイの6回の優勝に導いた。国見高時代の教え子で、現在は小嶺さんが設立に携わったV・ファーレン長崎でプレーするGK徳重健太選手(37)は「選手一人一人への愛情があった。部員全員を自分の息子のように愛情を持って指導していただいた。『サッカーだけの人間になるな』『人としての礼儀や振るまいを大事にしないとサッカーにつながらない』と言われた」と涙ながらに語った。

県サッカー協会の末吉成仁専務理事(62)は「V・ファーレンを核に長崎県のサッカーは発展した。プロチームが存在することでプロの試合を間近で見られ、毎週サッカーを見に行ける環境ができた。経済効果も含め、それが積み重なって今がある」と功績に感謝した。

中村法道知事は報道陣に「長年にわたり長崎県のサッカー界をけん引され、大きな夢や感動を与えていただいた。小嶺監督は私と郷土(南島原市)を同じくする先輩で、尊敬してきただけに大きな支えを失った。心からご冥福をお祈りします」と述べた。【中山敦貴、丹下友紀子】

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