作家・永井路子さん死去 97歳 「北条政子」「雲と風と」が死去

「北条政子」「雲と風と」など、独自の歴史解釈で骨太な人間ドラマを描いた作家、永井路子(ながい・みちこ、本名・黒板拡子=くろいた・ひろこ)さんが1月27日、老衰のため亡くなった。97歳。葬儀は近親者で営んだ。

東京都に生まれ、茨城県古河市で育つ。東京女子大卒業後、小学館に入社。編集者として勤務する傍ら小説を書き始める。1952年、「三條院記」で「サンデー毎日」の懸賞小説に2席入選。執筆に専念するため61年退社した。司馬遼太郎らの同人誌「近代説話」に参加する。鎌倉幕府3代を書いた「炎環」(64年)で直木賞を受賞した。

戦前の偏った教育に疑問を持ったことが、歴史を捉え直すきっかけに。綿密な史料検証から通説に異議を申し立て、裏切り者や脇役に注目。「北条政子」(69年)、細川ガラシャを描いた「朱なる十字架」(71年)、浅井長政の末娘ごうが主人公の「乱紋」(74年)などで歴史の陰に隠れがちな女性に光を当てた。鑑真和上を軸にした「氷輪」(81年、女流文学賞)、藤原道長を描いた「この世をば」(84年)、人間・最澄に迫った「雲と風と」(87年、吉川英治文学賞)などで時代と仏教の問題や、王朝のあり方に新解釈で切り込んだ。84年、中世を扱った歴史小説に新風をもたらしたとして菊池寛賞。2009年、「岩倉具視 言葉の皮を剥(む)きながら」で毎日芸術賞を受賞。

淀君や紫式部などを、史実を基に紹介した「歴史をさわがせた女たち」(72年~)はミリオンセラーに。79年のNHK大河ドラマ「草燃える」は「北条政子」「炎環」などが原作となった。97年の同「毛利元就」は「山霧 毛利元就の妻」(92年)が原作。クラシック音楽に造詣が深く、日本モーツァルト協会の世話役も務めた。

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