講談に明かりをともし続けた生涯 一龍斎貞水さんをしのぶが死去

「湯島天神」の名で親しまれている東京・湯島天満宮には、「講談高座発祥の地」という石碑がある。

江戸時代中期までは町のつじつじに立っての「辻講釈(つじこうしゃく)」が演じられていた。1807(文化4)年、境内に住んでいた伊東燕晋が、徳川家康公の偉業を読むのに庶民と同じ高さでは恐れ多いと、畳一枚分の高座を作ったのが、高座の始まりとされている。

この碑を建立したのが、講談界初の人間国宝、一龍斎貞水さん。湯島生まれの貞水さん、自宅は天満宮の階段を下りたすぐ近くにあり、奥様は居酒屋「酒席 太郎」を切り盛りする。

貞水さんがここ最近、手掛けていたのが、一つの長い話を少しずつ読んでいく「続き読み」。天満宮で月1回開かれる「連続講談の会」に、私も足を運んでいて、時には終演後に「酒席 太郎」に寄るのも楽しみで、高座に全力をつぎ込んだ貞水さんが帰宅する姿によく出くわした。

11月25日の夜も、前座時代に盛んにかけたという「金毘羅利生記(こんぴらりしょうき)」の続きを楽しんだばかりだった。

貞水さんはここ数年、体調を崩していて、楽屋で酸素吸入をした上で高座に上がっていた。誰の目にも調子がよくないのは明らかなのだけれど、高座の貞水さんは江戸っ子気質なのだろう、体調がどうしたなどと、余計なことは一切話さない。

脇では弟子の「ちびまる子ちゃん」などの声優でも知られる一龍斎貞友さん、若手真打ちの一龍斎貞橘(ていきつ)さんが、貞水さんの前の高座を務めながら、楽屋では師匠の手伝いを続けた。

「完璧な高座なんてないんですよ。今でも勉強です」という貞水さんは、この日も「本当に一生懸命に聴いていただくと、ついつい一生懸命にしゃべっちゃう」などと客を沸かせ、高座を締めくくった。

もしかしたら、これが最後の高座になるかもしれない、という思いはどこかにあった。でも、貞水さんにも、弟子や関係者にも、そんな悲壮な様子は感じられなかった。貞水さんがすぐに高座に上がれなかった時は、貞友さんが見事に師匠の出番までをつないだ。その様子がユーモラスで、お客さんを一安心させていた。

次回は12月7日の予定だったが、1日に体調不良で中止との連絡をいただき、心配していたところに、訃報が飛び込んできた。

もともとは役者になりたかった貞水さん。講談師の四代目邑井(むらい)貞吉(ていきち)に出会い、ラジオで覚えた講談を読むと、「上がってごらん」と言われ、学生服姿で高座に上がってしまう。それを機に講談師になりたいと思うようになったが、貞吉からは弟子を取らないと言われ、高校入学直後に五代目一龍斎貞丈(ていじょう)に入門する。1955(昭和30)年のこと。

それから65年の長い日々。落語の隆盛ぶりに比べると、東京講談界は人気の低下が進み、内紛、協会の分裂と、衰退が進んでいった。そうした中で、ブレることなく精進を続け、2002年には講談界初の人間国宝の栄誉に恵まれる。

「冬は義士、夏はお化けで飯を食い」と言われる講談の世界。貞水さんは影向舎(ようごうしゃ)のプロデュースで照明などにこだわった「立体講談」で怪談噺(ばなし)を極めた。

最近では、人気の神田伯山さんが襲名前の神田松之丞の名で出した本「神田松之丞 講談入門」(河出書房新社)で対談にも応じている。講談界は今でも東西5派に分かれていて、貞水さんは講談協会の会長、伯山さんは日本講談協会と所属も違うのだが、それを乗り越え、これまでならありえない人間国宝と二つ目(当時)の対談が実現したのも貞水さんの懐の深さならではだろう。

「朝早くでも夜遅くでも、談志さんから電話がかかってくるんだよ」と、貞水さんは話していた。私が貞水さんを初めて見たのも、談志さん司会の日本テレビ土曜昼の「やじうま寄席」。

知識が豊富で数多くの本を書いた談志さんだが、今のように「ネットで検索」などない時代。談志さんは、知りたいことがあると、東は貞水さん、上方は桂米朝さんに、よく電話をかけていた。「話が終わると、ありがとうもなくガチャンと切るんだよ、談志さんは」と、貞水さんはうれしそうに話していた。

貞水さんの会に談志さんがゲストで出演した時も楽しかった。講談も詳しく、大好きだった談志さんは、人間国宝の隣で、「もう講談はダメ、おしまい」などと、もうけちょんけちょん。それを笑みを浮かべながら聞いている貞水さん。この2人の掛け合いが、なんともおもしろかった。

神田松鯉さんが2人目の人間国宝となり、伯山さんの人気で「講談をやってみたい」という若手の入門も増えてきて、安心したわけでは決してないだろうが、東京講談界に明かりをともし続けてきた貞水さんは、「偉大なる未完成で終わりたい」が座右の銘で「まだやりたい読み物がある」と話していた通り、「偉大なる未完成」で旅立たれた。あちらでは講談界の先輩たちや談志さんが話し相手にと待ち構えているに違いない。こちらは後輩たちが、コロナ禍でも追い風を絶やすことなく講談のおもしろさを引き継いでいくことだろう。【油井雅和】

人間国宝の講談師、一龍斎貞水さんは3日、肺炎のため死去。81歳。

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