八杉康夫さん92歳(やすぎ・やすお=元戦艦大和乗組員)11日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去。葬儀は営んだ。
広島県福山市生まれ。旧海軍に志願したのち17歳で乗り込んだ戦艦大和が、米軍による1945年4月の攻撃で沈没。広島県呉市の特殊部隊に配属され、同8月の広島原爆投下直後は救護活動のため入市被爆した。戦後は福山市に戻り、楽器の調律事務所を営む傍ら「戦艦大和語り部ネットワーク」を設立。各地で講演した。
八杉康夫さん92歳(やすぎ・やすお=元戦艦大和乗組員)11日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去。葬儀は営んだ。
広島県福山市生まれ。旧海軍に志願したのち17歳で乗り込んだ戦艦大和が、米軍による1945年4月の攻撃で沈没。広島県呉市の特殊部隊に配属され、同8月の広島原爆投下直後は救護活動のため入市被爆した。戦後は福山市に戻り、楽器の調律事務所を営む傍ら「戦艦大和語り部ネットワーク」を設立。各地で講演した。
謹んでご逝去のお悔やみを申し上げます。
去る平成20年(2008)3月5日(水)13:30から、福岡市東区東市民センターにおいて、八杉康夫様のご講演を拝聴させていただきました。約2時間近いご講演前にセンターに到着されてから、椅子にお座りになることも、水分をおとりになることもなく、大和と乗組員の戦いをお話ししていただきました。八杉様のご講演姿勢をとおして、旧海軍の軍人とはこうであったのかと、知ることができました。そして、もしかすると、武士の時代は昭和の太平洋戦争が終わるまで続いていたのではないかと私は思いました。
御身は、大和で九死に一生を得られ、広島で被爆され、残りの人生を仲間たちの生きざまを、戦争を知らない、私たちに伝えていただいた気高い人生に感謝申し上げ、甚だ簡潔ではございますが、お悔やみの言葉とさせていただきます。
二度と繰り返してはいけない
黒歴史です私の父親も元
大和の乗組員でしたが特攻隊員の
特命を受け大和を降りました
幸いにも出征する事なく
終戦を迎え昨年92歳て他界しました
先に投稿したものですが
志願した歳も同じ享年も同じ
大きい艦で会う事も無かった
かもしれませんが一緒に
戦ったかもしれません、
八杉康夫さんの話を聞けて良かったです。
日本を守ってくれてありがとうございます。