トヨタ自動車名誉会長・豊田章一郎さん死去 経団連会長も歴任が死去

トヨタ自動車の創業家出身で社長、会長を歴任し、日本経済団体連合会第8代会長を務めた豊田章一郎(とよだ・しょういちろう)さんが14日、心不全のため死去した。97歳。通夜・葬儀は近く近親者で営む。お別れの会を後日開く予定。喪主は長男で同社社長の章男(あきお)さん。

トヨタ自動車の創業者、豊田喜一郎氏の長男。名古屋市出身。1947年に名古屋大工学部を卒業し、トヨタ関連の建築会社などを経て、喜一郎氏が死去した52年にトヨタ自動車工業(当時)に取締役として入社した。専務や副社長を経て、「工販合併」で82年に誕生したトヨタ自動車の初代社長に就任した。

80年代に加速した生産の海外移転では米国などの工場を軌道に乗せ、「品質は工程で造り込む」との考えから品質管理を徹底。トヨタの世界的な競争力の向上に貢献した。92年に会長、99年から名誉会長。一線を退いた後もトヨタの経営に目を光らせ、2016年秋にはスズキの鈴木修会長(当時)と面会し、両社の業務提携の交渉を仲介した。

財界活動や社会貢献にも力を入れた。94年に自動車業界からは初となる経団連(当時は経済団体連合会)会長に就任し、総会屋絡みの企業不祥事への対応や法人税減税などに尽力した。05年に開かれた愛・地球博(愛知万博)の運営を日本国際博覧会協会会長として支え、男子中高一貫校「海陽中等教育学校」(愛知県蒲郡市)の設立(06年)にも関わった。

95年に名誉大英勲章、05年に仏レジオン・ドヌール勲章グラントフィシエを受章。07年には米国のシンクタンクから公共の利益に貢献した人物に贈られるウッドロー・ウィルソン賞を日本人で初めて受賞した。世界の自動車産業の発展に功績があった人物として、米国の自動車殿堂入りも果たした。07年には桐花大綬章も受章した。

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