義母が前触れもなく、突然自宅に庭で倒れているのを近所に人に発見され、救急車で病院に運ばれるも、すでに亡くなっていました。
義弟から電話を受けて、妻と2人で運び込まれた病院に駆けつけました。病院の待合で、義弟の妻が警察の聴取を受けていました。
義弟夫婦は一人暮らしの義母の家から5分ほどの所で、近所の人が発見して救急車を呼ぶと同時に義弟の妻が駆けつけ、一緒に救急車で病院に来ていたのです。
病気で病院に掛かっておらずに、死亡した時には事件性がないかを警察がチェックするため、いつ遺体を葬儀会館へ移せるのか分からない状態でした。その間に、義弟が葬儀会館を探し、準備を始めていました。
どこでどんな葬儀を営むのかは、喪主を務める事になる義弟に任せていました。
ようやく事情聴取が終わり、事件性がないと判断されて、遺体を搬出する事が出来る様になりました。
遺体搬送車を追いかける様に、タクシーで葬儀会館に向かいました。
葬儀会館は小さな会館で、いわゆる家族葬専用会館でした。しめやかに私達兄弟や孫達で送るのも良いだろうと思いました。
しかし、夕方になると、会館の人から7時になると閉めますと伝えられました。私達夫婦は顔を見合わせ、「え~!」と驚きの声を上げてしまいました。
義弟に聞くと、費用の点もあり1日葬にしたとの事です。通夜式がないのは、それでも良いでしょうが、遺体を安置場に残して立ち去る必要があるのは、何となく寂しい気がしました。
義父は1年余り前に他界し、その時には家族葬で、兄弟で費用を折半して用意しました。
それから1年余りで義母が亡くなり、義弟は費用負担が重荷と感じて、1日葬を選んだようです。
もちろん、費用が安く済むのは、それはそれでありがたいとも言えますが、やはり遺体を残して去るのは後ろ髪が引かれる想いで、妻の事を考えると、差額を我が家で負担してでも、通夜のある普通の家族葬にしてやりたかったと強く思いました。
義弟に任せていたので、文句を言う事はしませんでした。しかし通夜式を行わなくても、義母の枕元で一夜を語りながら明かせると、気持ちも大きく違ったろうと思いました。
参列者の多い少ないは別にして、あるべきと思い込んでいる通夜がないのはやはり寂しいものです。
費用を安くするために、通夜式を行わず、1日葬とする場合にも、葬儀の前日に遺体安置場で夜を明かす事が可能か否かは、しっかりと確認し、少なくとも遺体と共に夜を過ごせる葬儀にはすべきだと強く感じました。
葬儀の費用は高く、少しでも安くと考えるのは、人情かも知れませんが、寂しすぎと後々に後悔が残る葬儀とすべきではないと思います。
葬儀は亡くなった方を極悪往生できるように送る儀式ですが、参列する遺族の気持ちを整理する場でもあるのです。
その事を考えると、やはり通夜を遺体と共に過ごし、亡き人に心で語り掛け、また遺族同士で故人の思い出を語り合う事は、遺族の心の整理に必要な事だと感じました。