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最期の地は東京、葬儀は栃木で
私の母はくも膜下出血による急死でした。何の予兆も無く体調の変化も全く無かったため、本当に突然の逝去です。
同居家族は認知症の父だけだったので、離れた場所から姉が救急車要請しましたが、既に手遅れでした。救急隊員が警察官を呼び、検死の為遺体を運んでいきました。
私や姉弟が警察署に出向くと、実家近くの都民共済の葬儀所を紹介されました。
突然のことで何をどうしていいか判らず、警察官の勧めに従ってそちらの葬儀所で自宅まで母の移送をお願いしたのです。
その時点で葬儀をどこでするか、紹介された都民共済でお願いするか、私たちは決めかねていました。
母は東京で亡くなりましたが、ほんの2年前まで栃木に住んでおり、お世話になった方、旧知の友人もみな栃木の方です。
現在は私の弟だけが栃木で暮らしています。
私は最初から母の葬儀は栃木であげてやりたい、母を栃木に帰してやりたいと主張しましたが、義兄などは都民共済で移送してもらったのだから、そのまま葬儀もお願いすべきとの意見でした。
確かに移送から葬儀まで同所でお願いすれば、話は早く進みますし、別に葬儀社を探す必要はありません。
別に葬儀社を決めた場合、都民共済には移送費と御棺の費用、諸経費を支払わねばなりません。葬儀を都民共済に決めてしまえば、全て一括の費用としてまとめられます。
手間と費用を考えると都民共済での葬儀が現実的でした
私を含めた実子はどうしても東京で母を送る気になりません。真夏の暑い日、私たちに考える時間は余りありませんでした。
弟と義兄が都民共済の葬儀所を見学に行きました。
帰ってきた二人の意見は、否です。
式場が狭くて20人程度しか席を作れず、通夜振舞などは自分たちで場所を探さねばなりません。お得な費用ですが、あくまでも葬儀をあげるだけの施設でした。
母を慕ってくれたお友達も親戚もこの東京の会場では参列をお願いできません。
弟はネットで栃木の葬儀社を検索しました。
「東京じゃお母さんがかわいそうだ」と泣きながら。
結果、両親ともに縁のある場所で良い葬儀社がみつかりました。
栃木で葬儀をあげた場合、東京からの移送はどうなるのか、それが一番の問題でしたが、こちらの担当者さんは一言、
「私どもは日本中どこへでもお迎えに参りますよ」
その言葉に私たちがどれほど救われたことでしょう。
霊柩車ではなく地味なワンボックスカーを用意して頂き、母は栃木に帰りました。
栃木の少し郊外にある葬儀社は、とても広くて豪華です。宿泊もできるので私たちはそこで母に寄り添い通夜を送りました。
もう何一つ心配することはなく、全てを葬儀社にお任せです。
母の友人がたくさん焼香に来て下さって、みなさんが、
「いいお葬式だったわ」
と言って下さいました。
思い返してみると、検死をした警察官は親切で葬儀所を紹介してくれたのでしょうが、母がどんな一生を送った人間なのかは知り得ません。
迷うことなく初めから母の葬儀は栃木で、と決めていれば余計な手間も費用もかからなかったのです。
もし母が遺言を残していれば、葬儀は栃木が良い、と書かれていたはずです。
手間や費用ではなく、故人の遺志を尊重することが葬儀では一番重要なのだ、と感じました。
その為に活用されるのがエンディングノートです。
人はいつどこで亡くなるか、判りません。
遺族を迷わせないためにも、故人が悔いを残さない為にもエンディングノートが必要です。