首脳往来の「日韓新時代」開く 韓国・全斗煥元大統領死去が死去

韓国で1980~88年に大統領を務めた全斗煥(チョンドゥファン)氏が23日午前、ソウル市内の自宅で死去した。90歳だった。アルツハイマー病との診断に加え、多発性骨髄腫も患っていた。79年の粛軍クーデターで実権を握った後、韓国憲政史上、初の平和的な政権交代を実現した。一方で、軍が市民に発砲して多数の死傷者を出した80年の光州事件など民主化運動の弾圧を巡り、退任後はその責任を問われ続けた。

最近では2017年に出版した回顧録で、光州事件で軍の機銃掃射の目撃者の証言に対し「破廉恥なうそつき」などと記述し、名誉毀損(きそん)罪で在宅起訴され1審で有罪判決(懲役8月、執行猶予2年)を受けた。今年8月の控訴審公判では、法廷に姿を見せたが、途中で体調不良を訴え退席していた。

朝鮮戦争中に陸軍入りした全氏は、朴正熙(パクチョンヒ)大統領(当時)に登用され、ベトナム戦争への派兵部隊の連隊長を務めた。国軍内部を統括する保安司令官だった79年、朴大統領暗殺事件の捜査を指揮。同年末、戒厳司令官を逮捕する「粛軍クーデター」で軍の実権を掌握した。

80年5月には、金大中(キムデジュン)氏(元大統領、09年8月死去)ら野党の有力政治家を一斉に逮捕。金大中氏の地盤の光州市で市民が蜂起する光州事件を招いた。

大統領在任中の83年には、日本首相として初めて公式訪韓した中曽根康弘首相(当時)から対韓経済協力40億ドルを受け、両国の協力関係強化を確認。84年には全氏が韓国大統領として初めて日本を公式訪問し、昭和天皇と会見するなど、日韓首脳が往来する「日韓新時代」を開いた。

88年のソウル五輪の誘致にも成功したが、国民の民主化要求の高まりを受けて87年、後継大統領とされていた盧泰愚(ノテウ)氏が提起した大統領直接選挙制導入などの「民主化宣言」を受け入れた。

88年の退任後は親族の不正蓄財が摘発され、山寺で隠遁(いんとん)生活を送った。金泳三(キムヨンサム)政権時代には粛軍クーデターや光州事件などの責任を問われ、無期懲役刑が確定。97年に特赦で釈放された。

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