長崎原爆の被爆者で、被爆証言集の発行などに取り組む市民団体「長崎の証言の会」代表委員、内田伯(うちだ・つかさ)さんが6日、誤嚥性(ごえんせい)肺炎のため、長崎市内の病院で亡くなった。90歳だった。葬儀は8日午後1時、同市茂里町3の31の法倫会館。自宅は同市松山町7の3。喪主は妻陽子(ようこ)さん。
15歳の時、動員先の兵器工場(爆心地から約1・3キロ)で被爆。自宅は爆心直下の同市松山町にあり、父と4人のきょうだいを失った。戦後は同市職員として原爆戦災誌の編集などに携わる傍ら、被爆体験の語り部として活動した。
被爆25年の1970年、原爆で焼き尽くされた松山町の街並みをよみがえらせようと「復元地図」の作製を開始。生き残った住民を訪ね歩くなどして、約300世帯の氏名が入った地図を完成させた。
80年代には、爆心地約500メートルにある母校・城山国民学校(現・城山小)の被爆校舎取り壊しに反対する運動に尽力。校舎は保存・活用が決まり、2016年10月、「長崎原爆遺跡」として浦上天主堂旧鐘楼などとともに国史跡指定になった。