秋月壽賀子さん死去 102歳 元看護師 反核平和運動の象徴だった夫を支えるが死去

長崎原爆で被爆し、反核平和運動の象徴的存在だった医師・故秋月辰一郎さんの妻で元看護師の秋月壽賀子(あきづき・すがこ)さんが19日、老衰のため長崎市の病院で亡くなった。102歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は長女藤信子(ふじ・のぶこ)さん。

長崎市出身。聖路加女子専門学校(現・聖路加国際大)を卒業して看護師になり、爆心地から約1・4キロの浦上第一病院(現・聖フランシスコ病院)で勤務中に被爆した。負傷しながら、医長だった辰一郎さんらと病院に3年間寝泊まりして被爆者救護に当たった。1948年に辰一郎さんと結婚した。

戦後、辰一郎さんは被爆者の治療に当たる傍ら66年に「長崎原爆記」、72年に「死の同心円」を出版して被爆直後の被爆者医療の実態を描写。反核平和運動では長崎平和推進協会理事長などを歴任し理論的、精神的支柱になった。壽賀子さんは夫の活動を陰で支え、辰一郎さんが92年にぜんそくの発作で倒れて意識不明になってからは亡くなるまで13年間、毎晩病室に泊まり込んで看護した。

辰一郎さんは2005年10月に89歳で死去。その後、壽賀子さんが表だって活動することはなかったが、取材などを通じて辰一郎さんの業績や核兵器の恐ろしさを語り続けた。同年には夫妻をモデルに被爆直後の救護活動を描いたアニメ映画「NAGASAKI 1945 アンゼラスの鐘」が製作された。

毎日新聞の記録報道「ヒバクシャ」では11年2月、辰一郎さんの「長崎原爆記」復刊を喜び「なぜ人間が人間に対してあんなひどいことができたのか。二度とあるべきことじゃない」と語っていた。17年からは被爆者専用の養護施設「恵(めぐみ)の丘長崎原爆ホーム」(長崎市)に入所していた。【松村真友】

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