竹下内閣から村山内閣まで7内閣で、事務方トップの官房副長官(事務)を務めた石原信雄(いしはら・のぶお)さんが1月29日、多臓器不全のため死去した。96歳。
群馬県出身。東京大法学部を卒業後、地方自治庁(現総務省)に入庁。自治省財政局長、事務次官を経て1987~95年、竹下、宇野、海部、宮沢、細川、羽田、村山の7内閣で計7年3カ月にわたって官房副長官を務めた。在任中、昭和天皇崩御(89年)時の行政対応を担当したほか、消費税導入(同年)、慰安婦問題への旧日本軍の関与を認めた河野洋平官房長官談話(93年)作成、阪神大震災(95年)の復旧・復興などにも関わった。
事務の副長官として支えた内閣数は歴代最多。7年3カ月の在職期間は、安倍、菅の2内閣を支えた杉田和博氏(警察庁出身)の8年9カ月、村山、橋本、小渕、森、小泉の5内閣を支えた古川貞二郎氏(旧厚生省出身、故人)の8年7カ月に次ぐ3位だった。
退官後の95年、東京都知事選に自民党などの推薦を受け立候補したが、タレントの青島幸男氏(故人)に敗れ落選。その後は地方自治研究機構会長などを歴任した。