益川敏英さん死去 晩年まで護憲と平和訴え続け 学術会議問題でも声が死去

素粒子物理学の分野で、クォークに関する「小林・益川理論」で2008年のノーベル物理学賞を受賞した京都大名誉教授の益川敏英(ますかわ・としひで)さんが23日、上顎(じょうがく)歯肉がんのため死去した。

5歳だった1945年3月に名古屋市で空襲を体験した益川さんは、「九条科学者の会」や「安全保障関連法に反対する学者の会」の呼びかけ人に名を連ね、晩年まで護憲と平和を訴え精力的に発言し続けた。核兵器と戦争の廃絶を目指す科学者らの国際組織「パグウォッシュ会議」の活動にも長年関わり、2015年11月に被爆地・長崎市での世界大会開催にも尽力。08年のノーベル化学賞受賞者で、16歳の時に爆心地から約12キロ離れた長崎県諫早市で原爆を体験した下村脩さん(18年に90歳で死去)とともに核廃絶を訴えた。

20年10月、菅義偉首相が日本学術会議の会員候補6人の任命を拒否したことが発覚した際には、安保関連法に反対する学者の会が同月開いた記者会見にメッセージを寄せ「戦争の反省の上に作られた学術会議に汚点を残す」と菅首相を厳しく批判していた。

益川さんとともに「九条科学者の会」の呼びかけ人を務めた宇宙物理学者の池内了(さとる)・名古屋大名誉教授(76)は「政治、社会問題に敏感に反応し、物おじせず発言していく人だった。兄貴分に当たる益川さんの姿勢に学んできた。名前を出して物申す科学者が少なくなっている中、益川さんのような科学者がいなくなるのは寂しく、つらい」と話した。

益川さんと長年の付き合いがあり、15年に長崎市で開かれたパグウォッシュ会議世界大会にともに参加した、小沼通二・慶応大名誉教授(90)は「科学者の責務として、核兵器の廃絶、戦争反対の思いをぶれずに貫き、機会があるごとに社会に平和を訴えていた。同じ志をもった仲間がいなくなり残念だ」と惜しんだ。【岡田英、岩崎歩】

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