水口弘一さん 88歳=元野村総合研究所社長、元野村証券<現野村ホールディングス>副社長が死去

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“水口弘一さん 88歳=元野村総合研究所社長、元野村証券<現野村ホールディングス>副社長” への2件のフィードバック

  1. 水口弘一さんの逝去に接して、心から哀悼の気持ちを捧げます。
    色々と逝去の報に接しましたが、残念なことに水口弘一氏が静岡県三島市の出身であること、戦後の教育新制度に際して、生徒主体の自治活動が盛んの中にあって、水口氏が三島市在住の全生徒代表として活躍したことなどに触れた記事はありませんでした。
     また出身高校は県立三島南高校で、そこから東大に合格入学したことは(同高が進学校ではなかったこともあり)、私たち同郷生徒たちの大いなる誇りとなりました。

    • 郷里の誇りである水口弘一さまのご逝去につき心からお悔やみ申し上げます。
      1月7日のご逝去のことは報道されましたので、知っておりますが、郷里の静岡県三島市出身の実業人として水口氏についての記事がはありませんでした。ので、遅ればせながらお悔やみの一文をしたためる次第です。
       戦後の新教育制度の中で、生徒の自治活動が盛んになりました。
      水口氏は中学校生徒を糾合して、全中学校自治会の連合体を結成。
      私たち生徒はその日学校を休んで「連合会大会」実施の映画劇場に集まりました。何を実施したのか全く思い出せませんが、当時の自治活動の一端を鮮明に思い出します。その後県立三島高校から東大に受験合格されて、私たち後輩の誇りとなりました。
       私は当時中一(現在84)、水口先輩とは5歳差ですから氏はその時もう高校生で、自治会連合会はあるいは中学高校の連合体であったかもしれません。
       水口氏の出身校の「静岡県立三島南高」は研ナオコなどを出している高校ですが、当時は評価も高くはなかったので、氏の東大受験は(氏の合格の知らせよりも)われら同郷の不出来な後輩たちには大ニュースでした。
       そんな氏の若き自治活動、後輩たちに与えた影響の一端ををお悔やみに触れてご紹介しました。 失礼をお許しください。

       

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