歌舞伎・市川左團次さん死去 82歳 英雄から敵役まであたり役が死去

舞台ぶりが大きく英雄から敵役まで多くのあたり役を持つ歌舞伎俳優、市川左團次(いちかわ・さだんじ、本名・荒川欣也=あらかわ・きんや)さんが15日、右下葉肺がんのため亡くなった。82歳。葬儀は近親者で営む。喪主は妻荒川千絵(あらかわ・ちえ)さん。

三世左團次の長男。1947年に五代目市川男寅を名乗って初舞台を踏み、62年に五代目市川男女蔵、79年に大名跡の左團次を四代目として襲名した。

幼いころから尾上菊五郎劇団に所属し、修業を積んだ。大柄な体と押し出しを生かし、歌舞伎十八番物の「毛抜」の粂寺弾正では大らかさと稚気のある演技を見せ、「助六」の意休では敵役らしい嫌みさ、また「熊谷陣屋」の弥陀六では老武将の気骨を示した。ほかにも「御所五郎蔵」の星影土右衛門、「弁天娘女男白浪」の南郷力丸など、この人ならではの味わいを示した。

明るくしゃれっ気の強い人柄で、先輩後輩を問わず親しまれた。長男の市川男女蔵さん、孫の市川男寅さんも歌舞伎俳優として活躍している。

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