映画監督の吉田喜重さん死去 89歳 妻は俳優の岡田茉莉子さんが死去

「秋津温泉」「エロス+虐殺」などの映画監督、吉田喜重(よしだ・よししげ)さんが8日、肺炎のため死去した。89歳。喪主は妻で俳優の岡田茉莉子(おかだ・まりこ<本名・吉田鞠子=よしだ・まりこ>)さん。

福井市出身。東京大卒業後の1955年、松竹入社。大船撮影所で小津安二郎、木下恵介監督らの助監督をつとめ、60年「ろくでなし」で監督デビュー。同年「血は渇いてる」、61年「甘い夜の果て」を発表。社会の矛盾をドライに描いた作風で、同じ松竹の大島渚、篠田正浩両監督らとともに「松竹ヌーベルバーグ」と称された。

その後、松竹の方針転換で助監督に降格されたが、62年、スターだった岡田茉莉子さんに指名され「秋津温泉」で監督に復帰。64年に岡田さんと結婚した。64年「日本脱出」の編集を巡って会社と対立し退社。65年「水で書かれた物語」で注目され、66年に独立プロ「現代映画社」を設立した。

独立プロで「女のみづうみ」(66年)▽「情炎」(67年)▽「樹氷のよろめき」(68年)▽「エロス+虐殺」「煉獄(れんごく)エロイカ」(70年)――など、意欲作を次々と発表。絵画的な構図や観念的なせりふなどを用い、実験的手法を駆使して日本の近代史や人間の深層を描いた。「戒厳令」(73年)以降映画製作から遠ざかり、テレビドキュメンタリーを手がけ、テレビ東京の美術番組「美の美」シリーズなどを制作した。

認知症老人の問題と家族を描いた「人間の約束」(86年)で映画に復帰。同作と88年「嵐が丘」、2002年「鏡の女たち」と続けてカンヌ国際映画祭に出品された。

仏のオペラ・ド・リヨンの依頼で「蝶々夫人」を演出するなど、海外での活躍も目立った。

20年には、ナチス・ドイツの副総統ルドルフ・ヘスの手記の形式の小説「贖罪(しょくざい) ナチス副総統ルドルフ・ヘスの戦争」を刊行。「映画に思い残すことはない」と語っていた。他の著書に「小津安二郎の反映画」など。

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