広島原爆の投下直後に降った「黒い雨」を巡り、国の援護対象区域外で浴びたと主張する住民らが被爆者健康手帳の交付などを求めた広島地裁訴訟で、原告団副団長を務める松本正行(まつもと・まさゆき)さんが8日、腎不全のため死去した。原告85人で最年長の94歳だった。援護拡大を求める運動で40年以上にわたり先頭に立ち続けたが、7月29日に予定される判決を聞くことはかなわなかった。
2015年11月に提訴。松本さんは19年10月の証人尋問で、既に11人の原告が死亡したことを挙げ、「みんな涙をのんで死んでいっとる。一日も早く(援護拡大を)認めてもらわんと」と訴えた。
米軍による1945年8月6日の原爆投下時は20歳。爆心地の北約20キロの広島県安野村(現安芸太田町)の親戚宅前にいた。青白い閃光(せんこう)と地響きを感じたのち黒い雲が上り、焼け焦げた紙切れが落ちてきた。その後、父が「黒い雨が降ってきた」と言ったのをはっきりと覚えている。
加計町(同)の町議だった76年、国が黒い雨の援護対象区域を、手帳の交付対象である被爆区域外の北西側長径約19キロ、幅約11キロとした。親戚宅は区域から外れていた。78年、指定区域外で黒い雨に遭った人らで連絡協議会を設立し、国や県市に陳情を繰り返した。
訴訟が結審した今年1月20日、つえをついて地裁を訪れ、「判決に大きな期待を持っている」と話していた。だが2月上旬、体調を崩して入院。3月8日に帰らぬ人となった。
判決まで5カ月を切っていた。連絡協議会の牧野一見事務局長は「松本さんでなければこれだけ多くの原告は集まらなかった。勝訴を信じておられたので悔しかったと思う」と悼む。
葬儀は10日午前10時、広島市安佐北区安佐町飯室1548の1の安佐葬祭会館。自宅は広島県安芸太田町穴890の2。喪主は長男信男(のぶお)さん。【小山美砂】