長崎県立国見高(雲仙市)サッカー部の監督・総監督として、無名だった同校を全国高校サッカー選手権優勝6回の名門に育て上げた現長崎総合科学大付高(長崎市)サッカー部監督の小嶺忠敏(こみね・ただとし)さんが7日、死去した。76歳。
長崎県生まれで、県立島原商高、大阪商業大を経て、島原商高教諭に。1977年の全国高校総体で同校を初の日本一に導いた。
84年に着任した国見高でも監督としてサッカー部を率いた。教頭を経て校長に就任した2000年からは総監督として指導を続けた。全国高校サッカー選手権の優勝6回は戦後最多タイ。国体などを含む全国大会への出場回数は100回を数え、うち優勝は17回。元日本代表の大久保嘉人さんら多くのJリーガーを輩出した。
06年3月の定年退職後も外部指導者としてチームを指導。抜群の知名度を買われ07年の参院選長崎選挙区に自民公認として立候補したが、落選。その後、長崎総合科学大(長崎市)の教授となり、人間育成学や組織社会学を受け持った。長崎県を本拠地とするサッカーのクラブチーム「V・ファーレン長崎」の社長も務めたほか、日本サッカー協会評議員なども歴任した。
長崎総合科学大付高ではサッカー部総監督を経て監督に就任し、全国高校サッカー選手権に第100回大会(21年12月~22年1月)までの10大会中8度出場。第96回大会は8強に勝ち上がった。
同校は第100回大会にも出場したが、小嶺さんは体調不良のため1回戦から欠場。コーチの指揮で1、2回戦を勝ち抜いたものの3回戦で敗れていた。