ロゲ前IOC会長「ユース五輪」創設、若者スポーツ離れに危機感が死去

国際オリンピック委員会(IOC)が29日に死去を発表したジャック・ロゲ前会長は、原則18歳以下を対象とした「ユース五輪」を創設した。価値観やレジャー、エンターテインメントなどの多様化により、若者のスポーツや五輪離れに早くから警鐘を鳴らし、対策を打っていた。

ロゲ氏がユース五輪を提唱したのは2007年。当時、ロゲ氏の前任者で、21年にわたって国際スポーツ界のトップに君臨したサマランチ元会長は終身名誉会長として影響力を発揮し、「院政」とも言われた。その中で打ち出された若者の祭典はロゲ氏の肝いりだった。

ユース五輪が初めて開催されたのは10年のシンガポールでの第1回夏季大会。その2年後、オーストリアのインスブルックで第1回冬季大会が開かれ、記者は取材した。

「若い選手がアスリートとして完成するには、それなりの土台が必要。それを今は、ユース五輪でつくることができる」。セーリング選手として五輪に3回出場したロゲ氏は、アスリートとはなんたるかを学べないまま過ごした日々を反省しながら、選手に語りかけた。普段は淡々とした語り口だが、この時ばかりは違った。取材ノートには「熱っぽく語っていた」とあった。

目玉は「文化・教育プログラム」。サマランチ氏が進めた商業主義は五輪を肥大化させ、勝利至上主義はドーピング(禁止薬物使用)を横行させた。整形外科医のロゲ氏は、もはや対症療法では「病巣」を取り除けないと思ったのだろう。将来を担う若手アスリートに、フェアプレー精神やスポーツの価値を直接学ばせる機会を作った。選手たちが競技の疲れも見せず、ワークショップなどに取り組む姿が印象深かった。

東京オリンピックでは、スケートボードなどの新競技が若者の関心を呼び、人種や性別など多様性の尊重が大きなテーマとなった。ロゲ氏はこの分野でもユース五輪を試金石にした。アイスホッケーでは、北米プロNHLの人気イベント「スキルチャレンジ」を種目として取り入れ、カーリングには「男女混合」と「多国籍」の二重混合となった混合ダブルスを実施した。夏季ユース五輪に導入された3人制バスケットボールは東京から五輪種目になった。当時は「奇をてらっている」との批判もあったが、今思えばロゲ氏の取り組みには先見の明があった。【芳賀竜也】

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