「精霊流し」解説 郷土史家の越中哲也さん死去 「長崎学」研究が死去

長崎くんちやお盆の伝統行事「精霊(しょうろう)流し」のテレビ解説で知られた郷土史家の越中哲也(えっちゅう・てつや)さんが25日朝、老衰のため長崎市の病院で亡くなった。99歳だった。通夜は26日午後6時、葬儀は27日午後1時、いずれも同市大橋町の大橋メモリードホール。喪主は妻京子(きょうこ)さん。

長崎市の光源寺の長男として生まれ、龍谷大を卒業後、徴兵された。戦後は旧長崎市立博物館の学芸員となり、1974年に同館長に就任。「長崎学」の研究に尽力した。82年から2019年まで長崎歴史文化協会の理事長を務め、長崎の歴史や文化を発信し続けた。

19年まで務めた精霊流しのテレビ中継の解説では「次は私が(精霊船に)乗って行くんじゃなかろうか」のセリフで番組を締めるのが恒例となるなど、ユーモラスな人柄で市民に「越中先生」と呼ばれ親しまれてきた。9月から体調を崩し入院していた。

長崎くんちをこよなく愛し、新型コロナウイルスの影響で奉納踊りが2年連続中止となったのを残念がっていたという。40年来の交流があった立山1丁目自治会長の井村啓造さん(75)は、越中さんに「くんちば何とかしてくれんね」と依頼され、昨年から手ぬぐいを作成。今年は、越中さんが12月で100歳を迎えることから記念のくんち手ぬぐいも準備した。

完成時は「手ぬぐいがなからんとくんちは始まらんね」と喜んだといい、「満面の笑みが忘れられない。泉のように湧く知識と温かい人柄で多くの人を魅了した。越中先生は長崎の至宝だった」と惜しんだ。

平和や戦争についても多く発信してきた。憲法9条改正に反対し「県九条の会」の共同代表を務めた他、安全保障関連法は憲法違反だとして県内の被爆者らが長崎地裁に提訴した国賠訴訟を支援した。

長崎市の市民団体「長崎の証言の会」が19年に発行した被爆証言誌の特別インタビューでは、自身の戦争体験を回顧。大学予科1年時に全国から選ばれた学生隊の一員として中国戦線に派遣されたことや、戦時中に秘密戦や諜報(ちょうほう)員を養成する諜報機関だった陸軍中野学校に通った思い出を語っていた。

インタビューした山口響編集長(45)は「郷土史家としての功績が知られるが、越中先生にとって平和への思いも地続きにあった」と振り返った。

越中さんの訃報を受け、田上富久・長崎市長は「驚きとともに深い悲しみと喪失の思いを感じている。越中先生が守り、育て、伝えてくださった長崎学を未来に向けてさらに発展させていきたい」とのコメントを発表した。【田中韻】

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