「男体山の仙人」死去 96歳 歴代最多の1223回登頂 栃木が死去

栃木県日光市の男体山(2486メートル)に歴代最多となる1223回登頂し、「男体山の仙人」として県内外の登山家らに知られた佐野市葛生西、田名網忠吉さんが12日、虚血性心不全のため亡くなった。96歳だった。

田名網さんは旧葛生町(現佐野市)生まれ。地元石灰会社に勤務していた30代で登山を始め、男体山には1971年から登り続けた。2011年10月に脳梗塞(こうそく)で倒れたが、2年越しのリハビリを経て、13年に通算1222回目の登頂に成功。翌年も89歳で山頂に立った。日光開山の祖になぞらえ「現代の勝道上人」とも称された。山頂へと続く登拝門がある日光二荒山神社中宮祠によると、登頂回数の2位は720回で、田名網さんが大きく上回っている。

90代になると腸閉塞(へいそく)などを患い、男体山からは遠ざかったが、地元の諏訪岳(323メートル)で足慣らしし、「100歳登頂」を目指していたという。長男の久芳(ひさよし)さん(62)によると、最近も元気で、近くの嘉多山公園の散歩や自宅前の畑仕事が日課だった。12日も日中、電動三輪車で外出するなどしていたが、夜に自宅で倒れているのが見つかった。

告別式は17日午前10時、佐野市山菅町3358の「セレモールふくだ」。喪主は久芳さん。【太田穣】

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