「数独」鍜治真起さん死去 読者参加でファン拡大、世界に2億人が死去

数字パズル「数独」の名付け親で、数独の父と言われるパズル制作会社「ニコリ」の前社長、鍜治真起(かじ・まき)さんが10日、胆管がんのため亡くなった。69歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は妻直美(なおみ)さん。後日、お別れの会を検討している。

1951年札幌市生まれ。慶応大に進学したが、70年安保の時期で休講が相次いだこともあって2年半で中退。印刷会社で働いていたときに目にした米国の雑誌に掲載されていた数字パズル「ナンバープレース」が数独へのヒントとなった。80年に友人と創刊した国内初のパズル雑誌「パズル通信ニコリ」で、ナンバープレースを「数字は独身(シングル=1桁)に限る」というタイトルで紹介。短縮した「数独」として定着させた。83年にはニコリを設立し、今年7月末に体調を崩すまで社長を務めた。

数独は、縦横9列の正方形のマスに、同じ列や縦横3列のブロックで重複させないように1~9の1桁の数字を入れる。見た目にもこだわり、最初からマスに数字が書かれている「ヒント数」は中央のマスを軸に対称形に配置するという独自性を編み出した。

また、問題の創作には、社員だけでなく、作家と呼ばれるファンの応募を歓迎する「読者参加型」を導入し、ファンを拡大した。他の種類のパズル本も次々と出版し、日本の書店にパズルコーナーを確立させるきっかけを築いた。

国際的に注目されるようになったのは2004年。日本を旅行中に数独に夢中になったニュージーランド人がロンドン滞在中、英紙に売り込んで連載が始まった。万国共通の「数字」とあって各国の新聞でも登場し、本も次々と出版された。06年からは数独の世界選手権が開催されるようになり、鍜治さんは各国の主催者から頻繁に招待された。「SUDOKU」という単語が英オックスフォード英語辞典に収録され、鍜治さんは米紙ニューヨーク・タイムズで「数独のゴッドファーザー」と紹介された。

世界の学者の好奇心もくすぐり、各国で数独に関連する論文が相次いで発表された。「9×9」のマス目では独英の研究チームなどは「(すべてのマス目が埋まった)解のパターンは10の21乗の6・67倍ある」と報告した。数字の単位「京(けい)」のさらに上の「垓(がい)」に及ぶ。

より難問の「16×16」「25×25」から、子どもや高齢者向けのやさしい問題も登場。ニコリは「数独ファンは世界100カ国以上に2億人以上いるのではないか」としている。

一方で晩年の鍜治さんは「数独の父では終わりたくない。日本でパズルというジャンルを確立されたと言われるようになるまで、パズルの楽しさを広めていきたい」と話していた。【田中泰義】

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