「公平無私な人」「身を賭して県政に」 小川洋・前福岡知事、悼む声が死去

肺腺がんと診断され治療中だった前福岡県知事の小川洋さんが2日、72歳で死去した。辞職から7カ月あまりでの訃報に、関係者には悲しみが広がった。

「元気に回復され、お会いできると信じていた」。副知事として小川さんを約9年支え、県政を引き継いだ服部誠太郎知事は、記者団の取材に沈痛な面持ちだった。服部知事によると、小川さんは2日午前11時過ぎ、入院先の九州大学病院(福岡市)で亡くなった。

小川さんに「お見舞いに行きたい」と伝えたのは10月中旬。小川さんからは医療関係者を通じて「うれしいな。会いたいね」と返事があったが、新型コロナウイルス感染の懸念などもあり見送られた。服部知事は「九州北部豪雨(2017年)など被災地の復旧・復興のため陣頭指揮を執った姿が印象に残っている」と振り返った。

小川さんの後援会長を務めた松尾新吾・九州電力特別顧問は「公平無私な人柄だった」と悼んだ。県政運営で意見が割れることもあった、県政界の重鎮で自民党の蔵内勇夫県議は取材に「真面目すぎるが故に議会との関係では誤解が生じることもあったが、大きな病気を抱えながら身を賭して県政推進に取り組まれた」と語った。

九州北部豪雨で被災した日田彦山線の復旧を巡り、県などと協議したJR九州の青柳俊彦社長は、2日の記者会見で「いろいろな論戦をしたが自治体の長としてしっかり答えていただいた。(バス高速輸送システムによる復旧の)方向性も定まったという意味でありがたかった」と振り返った。【光田宗義、久野洋】

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