全国高校サッカー選手権で長崎・国見を戦後最多タイとなる6度の優勝に導いた小嶺忠敏さんが7日、76歳で亡くなった。教え子で小嶺さんが設立に携わった現J2長崎の監督も務めた元日本代表FWの高木琢也・現J3相模原監督(54)は「サッカー以上にあいさつや礼儀作法を教わったかもしれない」と振り返った。
小嶺さんは4年前、記者の取材に「人生ではサッカー以外のことをする時間の方が長い。サッカーバカになったらいけない」と人間教育の大切さを語っていたが、高木監督も「小嶺先生は先を見越した行動をすることが大事だと話され、国見高校ではそれが伝統になった」と語った。礼儀作法に厳しく、選手たちには練習を見に来る人の姿があれば必ずあいさつするよう言われ、見学用の椅子を持って行くように指示されたことを明かした。
高木監督が小嶺さんと初めて会ったのは中学時代。当時小嶺さんが監督をしていた長崎・島原商の練習を見に行くのが週末の日課で「『国見高校という選択肢があるのではないか』と言われ、自分のサッカー人生が始まった。あの出会いがなければ今の人生はない」と語った。「小嶺先生の存在が指導者としての支えだった。小嶺先生のやってきたことを見て体現してきた。それがすり込まれていたのだと改めて感じた」と涙ながらに語った。
現役引退後は、長崎が九州リーグに所属していた2005年にテクニカルアドバイザーに就任し、13~18年は監督を務めた。恩師が設立に力を注いだ地元のプロクラブに関わった高木監督は「今でこそ各都道府県にプロチームはあるが、(小嶺先生が)長崎のサッカーを引っ張ってくれた。島原商、国見というサッカーの文化が長崎にあったからこそプロのチームがあると思う。時間はかかったが最後まで力を尽くされたと思っている」と敬意を表した。【丹下友紀子】