韓国の全斗煥元大統領が死去 90歳 光州事件などで死刑判決が死去

韓国で1979年に起きた粛軍クーデターを国軍保安司令官として指揮した全斗煥(チョンドゥファン)元大統領が23日午前、自宅で死去した。90歳だった。聯合ニュースが伝えた。持病があったという。

31年、慶尚南道陜川(キョンサンナムドハプチョン)生まれ。陸軍士官学校卒業。軍事クーデターで権力を握った朴正熙(パクチョンヒ)大統領に登用され、ベトナム派兵部隊の連隊長を務めた。国軍内部を統括する保安司令官だった79年、朴大統領暗殺事件の捜査を指揮。同年末、上官にあたる戒厳司令官を逮捕する「粛軍クーデター」で軍の実権を掌握した。

80年5月には、金大中(キムデジュン)氏(元大統領、2009年8月死去)ら有力政治家を一斉に逮捕した。これをきっかけに、金大中氏の地盤である光州市で市民らが武装して軍と衝突し、多数の死傷者が出る「光州事件」が発生した。

80年9月から88年2月まで大統領を務めた。84年には韓国大統領として初めて日本を公式訪問し、天皇と会見した。北朝鮮との関係は険悪で、83年のラングーン(現ヤンゴン)訪問時に北朝鮮工作員による爆弾テロに狙われ、同行の閣僚ら韓国人17人が死亡した。任期終盤の87年には、大韓航空機爆破事件も起きた。

朴政権の政策を継承し、開発独裁による経済成長を重視したが、国民の民主化要求の高まりで87年、軍時代から盟友として活動した盧泰愚(ノテウ)氏の「民主化宣言」を受け入れる形で大統領直接選挙制への改憲に踏み切った。同年末の大統領選では、盧泰愚氏が当選した。

退任後は親族の不正蓄財などが明らかになり、江原道の山寺で2年間、隠遁(いんとん)生活を送った。金泳三(キムヨンサム)政権時代には光州事件や不正蓄財を断罪され、裁判の1審では死刑判決を受けた。2審で無期懲役に減刑され、さらに97年の大統領選で金大中氏が当選した直後に、特赦で釈放された。

最近では17年に出版された回顧録で、機銃掃射を目撃したと証言した神父(故人)を「うそつき」などと記述し、死者名誉毀損(きそん)罪で在宅起訴され1審で有罪判決(懲役8月、執行猶予2年)を受けた。今年8月の控訴審公判では、法廷に姿を見せたが、途中で体調不良を訴え退席していた。【ソウル渋江千春】

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