プロ野球・近鉄で投打で活躍し、大洋(現DeNA)、ヤクルトの監督を務め、野球解説者としても人気を博した関根潤三(せきね・じゅんぞう)さんが9日、老衰のため東京都内の病院で亡くなった。93歳。
球界からは関根さんを悼む声が相次いだ。
元巨人監督の長嶋茂雄さん(84)は初めて巨人を率いた1975年、ヘッドコーチの関根さんに支えられた。巨人を通じて「とても温厚な人柄で、みんなに慕われたあたたかいヘッドコーチでした。日本の球界を引っ張ってこられた貴重な方を失い、残念でなりません」と思いを寄せた。
巨人で同僚だったソフトバンクの王貞治球団会長(79)は「じっと構えてボールを見てスイングする。僕とは正反対。僕が『動』だったら関根さんは『静』だった」としのんだ。
巨人では選手同士、広島ではコーチ同士だった広岡達朗さん(88)は「人が良すぎるくらいの人だった。正直、さみしいね」。関根さんが巨人に移籍してきた時は38歳。漢方薬をこまめに飲んで健康に気を配っていたという。「みんな『お父さん』と呼んでいたよ。でも朝が弱くて、あんまり練習しなかったかな」。広島では衣笠祥雄らを熱心に指導した。「打撃理論に信念がある人だった」と懐かしんだ。
ヤクルトの池山隆寛2軍監督(54)は高卒4年目の87年、ヤクルト監督に就任した関根さんの下でレギュラーの座をつかみ、球団を代表する打者になった。「一番我慢して使っていただいた監督。『三振しても下を向いて帰ってくるな』と指導され、その後、少し気持ちが楽になり自分の打撃になってきたと思う。『ブンブン丸』の基礎になったのかもしれない。ありがとうございました」と感謝した。
ヤクルト時代、関根さんに外野のレギュラーに抜てきされた日本ハムの栗山英樹監督(58)は「人を育てるとはどういうことかということを身をもって教わりました。本当の恩人でした」と惜しんだ。
ヤクルトの高津臣吾監督(51)は指導を受けたことはないが、「球場などでお会いした時はすごく優しく、いろいろとアドバイスをいただいた」という。「その教えをしっかり守って恥じない成績を残したい」とコメントした。
関根さんが大洋(現DeNA)監督時代に台頭し、後に俊足が売りの「スーパーカートリオ」の一人として活躍した高木豊さん(61)はツイッターに「球界で一番の恩人だった。監督の時にレギュラーになり、盗塁やスイッチヒッターにも挑戦。色んなことを経験させてもらいこの私が出来上がった。私は、関根監督の作品のひとつ」と投稿した。
関根さんが大洋監督時代に軸だったDeNAの田代富雄チーフ打撃コーチ(65)は「何とか40本塁打を打てる打者にしようと熱心に指導していただいた。選手への接し方など多くのことを勉強させていただき、指導者として生きている」と振り返った。
法大の後輩にあたる山中正竹・侍ジャパン強化本部長(72)は「打撃も投球も戦術もよく追究されていて、自分なりに作り上げた理論があった。穏やかだけど鋭さもある、根っからの野球人でした」と話した。【プロ野球取材班】