小倉中・高エースで甲子園連覇 福嶋一雄さん死去、89歳 アマ球界発展に貢献が死去

1947、48年の夏の甲子園大会を2連覇した旧制小倉中・小倉高校のエースで、日本野球連盟九州地区連盟理事長を85年から32年間務めるなどアマチュア野球界の発展に貢献した福嶋一雄(ふくしま・かずお)さんが27日、十二指腸がんのため亡くなった。89歳だった。親族によると、告別式はせず、家族葬を予定している。

31年生まれ。北九州市出身。旧制小倉中(後の小倉高)に入学し、抜群の制球力と頭脳的な投球でエースとして活躍。全国大会には春夏計7回出場し、47年春の甲子園で準優勝。47年夏には全国優勝を果たし、初めて九州に深紅の優勝旗をもたらした。

翌48年夏の甲子園では5試合すべてを完封する快投で連覇を成し遂げた。5試合すべて完封は、39年の海草中(和歌山)の嶋清一投手と並ぶ大会記録。3連覇を狙った49年夏の甲子園は準々決勝で敗退した。

早稲田大では東京六大学野球で優勝を重ねた。八幡製鉄(現日本製鉄)では54年の都市対抗野球優勝に貢献するなどアマ球界でも活躍した。現役引退後は山口県光市の新日鉄光(現光シーガルズ)の総監督や部長を歴任し、85年からは日本野球連盟九州地区連盟理事長を務めた。2013年1月には野球殿堂入りした。

自宅で療養を続けていたが、8月15日に北九州市立医療センターに入院し、治療を受けていた。

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