元関経連会長の川上哲郎さん死去 92歳 住友電工会長など歴任が死去

関西経済連合会の第10代会長で、住友電気工業の社長、会長を務めた川上哲郎(かわかみ・てつろう)さんが9日、老衰のため死去した。92歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は長男尚貴(なおたか)さん。

東京都出身。1952年に東京商科大(現一橋大)を卒業後、住友電工入社。主に財務畑を歩み、82年に社長に就任。光ファイバーなどハイテク分野の事業化を進めた。会長を経て、99年に相談役に退いた。この間、94~97年に関経連会長を務め、理論派財界人として活躍した。

9日死去した元関西経済連合会会長の川上哲郎さんは、関西財界屈指の論客として知られた。故宇野収氏(東洋紡名誉会長)から後継指名を受け、1994年に関経連会長に就任。関西国際空港、関西文化学術研究都市などそれまでの大型プロジェクト主体の活動から、調査・研究や提言を中心とする「カネより知恵を出す団体」への転換を打ち出し、期待も高まった。

しかし、関経連会長時代の3年間は苦難の連続だった。就任する際、関西電力の小林庄一郎会長(当時)が本命視されていたため、関西経済界に不協和音が生じた。関経連副会長に有力企業が会長、社長らトップ級の人材を出さず、関経連の求心力低下が指摘された。95年には阪神大震災が発生。情報産業やライフサイエンス産業の立地を促す特区創設などを国に進言したが実現せず、任期途中で退任した。後に「前例にとらわれる官僚統制に阻まれた」と悔しい思いを吐露している。

関経連の松本正義会長(住友電工会長)は12日、「合理的な考えにもとづき決断、実行する秀でたリーダー。バブル崩壊後の経済低迷や震災など幾多の困難に直面しながらも、関西経済の発展を力強く牽引(けんいん)された」との談話を発表し、功績をたたえた。川上さんは常々、「関西はアジアとの連携で経済圏を構築すべきだ」と語っていた。未来を見据えたその活眼は今も関経連の国際戦略の柱として受け継がれている。【宇都宮裕一】

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