時代物から世話物までを自在に演じる歌舞伎界屈指の立ち役俳優で文化功労者、人間国宝、日本芸術院会員の中村吉右衛門(なかむら・きちえもん、本名・波野辰次郎=なみの・たつじろう)さんが11月28日、心不全のため死去した。77歳。葬儀は近親者で営む。
歌舞伎俳優、初代松本白鸚(八代幸四郎)の次男に生まれ、母方の祖父、初代吉右衛門の養子となり、1948年に中村萬之助(まんのすけ)を名乗り初舞台を踏んだ。
その後は実父のもとで修業を積み、父や兄の現白鸚さんと共に所属会社を松竹から東宝に移し、66年に二代目として吉右衛門を襲名。東宝時代は主演女優の相手役をつとめるなど現代劇でも活躍したが、歌舞伎に打ち込みたいと松竹に戻り、研さんに励んだ。
時代物では「勧進帳」の弁慶、「俊寛」の俊寛、「熊谷陣屋」の熊谷直実、「盛綱陣屋」の佐々木盛綱、「仮名手本忠臣蔵」の大星由良之助、「義経千本桜」の平知盛、「石切梶原」の梶原平三など、世話物では「法界坊」「幡随長兵衛(ばんずいちょうべえ)」「河内(こうち)山(やま)」など当たり役は数多い。
テレビでは人気ドラマ「鬼平犯科帳」の火付盗賊改方長官、長谷川平蔵役を89年から2001年まで9シリーズでつとめ、その後も単発放送で演じ、16年末に締めくくるまで、150本に主演した。出演映画に「心中天網島」(篠田正浩監督、69年)がある。
最後の舞台は21年3月、東京・歌舞伎座の「三月大歌舞伎」第3部「楼門五三桐」の石川五右衛門で、千秋楽前日の同28日まで舞台をつとめた。この日の公演後、体調不良で救急搬送され、治療を続けていた。
02年日本芸術院会員、06年度毎日芸術賞、11年人間国宝、17年文化功労者。歌舞伎俳優の尾上菊之助さんは四女の夫
演劇評論家・水落潔さんの話 祖父であり養父となった名優・初代吉右衛門の芸の継承に一生をささげ、それを立派に成し遂げられました。初代を師とも目標ともされましたが、初代よりいいものが幾つもあったと思います。特に義太夫狂言や時代物が見事で、「寺子屋」の松王丸、「引窓」の南与兵衛など初代をきちんと継承しながら初代より線の太い俳優になられたのではないでしょうか。