後悔のない葬儀を送るには?私のエピソードをご紹介します

より良いお葬式にするために

誰か大切な人が亡くなった時、悲しみに沈んでいるまもなく葬儀の手配をしなければいけません。大切な人をしっかり見送るためにも、後悔のない葬儀をしたいですよね。ここでは私の経験も踏まえ、後悔のない葬儀について紹介していきます。

実体験を元にしたエピソード

2年前に祖父が亡くなり、両親の手伝いをしながら葬儀の手配をしました。祖母は今から20年ほど前に亡くなっており、祖父は祖母を恋しがりながら生活していましたが、ここ5年ほどは痴呆症に悩まされ、最後は家族のこともよくわからなかったように思います。
痴呆症になると人間関係も難しくなります。今まで付き合いのあった人に対しても乱暴な発言をしたことがあり、それを理解してくれている人ならば良いのですが、なかなか理解されないこともあり、疎遠になった人間関係もあります。もともと祖父は頑固でしたから家族内でも人間関係がうまくいかず、親戚付き合いが特にあったわけでもありません。すでに90歳近かったですから、仮に葬儀を手配しても参列者がそこまで集まるかどうかわからないという状態でしたので、最終的には家族葬にしました。

家族葬にした理由は、参加者?お金?

価格はよく覚えていないのですが、平均的な値段のものを選んだように思います。葬儀場で家族が集まった葬儀にできました。この時はいとこやいとこの子供も集まり、いつもながらのメンバーが集結して祖父を見送ったように思います。いとこは祖父と良い関係を築いてはいませんでしたし、いとこの子供たちに至っては祖父の事などほとんど知らなかったのではないかと思います。しかしそれでも最後は家族に見送られ、祖父も喜んでいるのではないか、そして何よりも今は祖母に会えてこの世に未練は無いのではないかと思っています。

祖父の意見を反映させた葬儀にできたらよかったのかもしれないと考えることがあります。

家族葬を選んで良かったと思っていますので、葬儀そのものに不満はありません。しかし、生前に祖父がどのように考えていたのかは分かりませんので、もっと祖父の意見を反映させた葬儀にできたらよかったのかもしれないと考えることがあります。
先ほども述べた通り、祖父は長年痴呆症に苦しんでいましたので、自分の葬儀やお墓について話し合うこともありませんでした。早く祖母に会いたいと頻繁に言っていましたが、お墓や葬儀について話し合えるような状態ではなく、おそらく祖父は昔ながらの大規模な葬儀を期待していたと思います。祖母が亡くなった時はまだ祖母が若かったということもあり、自宅で葬儀を執り行い、近所の人に来ていただきました。おそらく祖父もそのような葬儀を期待していたと思います。
もちろん、本人が期待していた葬儀が絶対にできるとは限りませんが、もっと祖父にどのようなお墓が良いのか、どのような葬儀が良いのか、聞いておいたらよかったなと後悔することがあります。もちろんお墓は祖母と同じものがありますので本人も不満はないと思うのですが、葬儀に関してはもしも本人と話し合いが出来るなら、本人が期待するような葬儀に近づけられるよう、努力ができたと思います。

自分の葬儀やお墓のことを今のうちに考えてみては


最近は死ぬ前に自分の葬儀やお墓についてプロデュースする人が増えていると言われていますが、これは遺される家族の為にもなりますので、ぜひ自分の葬儀やお墓を考えておくと良いと思います。「縁起でもない」などという人もいますが、自分の事なんですから、家族の為にも興味を持つことが大切だと思います。もちろん祖父のように痴呆症など、抗えない事情があることもあるでしょう。しかし、誰でもそのような可能性があるからこそ、ある程度歳をとったら考え始めることが大切だと思います。

ある程度歳をとったら自分の葬儀やお墓について考え始めでも家族と話し合いを始めることが重要ですね

葬儀というのは残された人が亡くなった家族の死を理解するためにも大切ですが、亡くなった張本人にとっても大切なものです。だからこそ、ある程度歳をとったら自分の葬儀やお墓について考え始めでも家族と話し合いを始めることが重要だと思います。