祖母が亡くなったのは年末の忙しい時期でした。それまでに入院していましたのでお見舞いへ行った時は別の病気でしたし、治療で治りましたからまさか亡くなるとは思ってもいませんでした。偶然、祖母の娘である母が祖父母の様子を伺いに実家へ帰ると安らかに寝たままの祖母が無反応でいたので、直ぐに救急車を呼びましたので、母からその連絡を受けていた私も、急な事で慌てる母親に原因が分からないけれど救急車の方の話しをしっかり聞いて落ち着いてと言いました。すると、祖父母宅でしたので救急車が来て祖母の状態を確認されると警察ヘ連絡する様に言われたそうなので、それを聞いた私は覚悟を決めました。なぜなら、そういう面に詳しい国家資格を持っていましたし、老人やその身内の方と接する機会が多かったのでこういう事に少々慣れていたからだったからです。
そして、救急車に母親も一緒に乗り病院ヘ向かうと、連絡して来た警察の方は母親が病院に向かい留守にして間に祖母宅を調べて下さるので、その際に連絡が必要な時は電話が取れない母親の代わりに私に代わりに連絡をしてもらう様に伝えました。
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最期を看取ってからのバタバタ
おかげでスムーズに事は運びましたが、一人っ子で一人孫だった私を先に他界した亡き祖父の後でもなかなか会えなくても届く年賀状を大切に送ってくれていましたので、それが祖母の優しさだったといまでも思い出してはありがたさで胸が一杯になります。
そして、祖母と共に救急車で総合病院ヘ向った母親からしばらくして私に連絡が入り祖母が既に亡くなっていたと聞きましたが、病名が何であり祖母の死因になったのか気になりましたが、母親の心情を思い、後から聞く事にしました。
そこからが大変だった様な気がします。
年末と言うこともあり、企業勤務の父親は休みに入っていましたが、母親側で起こった事は母親の兄が病気で先に亡くなっていましたから、同じ様にすればと正論にしてもそっけない父親。
母親が喪主になるので、先に喪主経験のあるそんな父親にせめて話すのが苦手な母親にどう言えば良いのかだけでも教えてあげておいて欲しいと私から頼むと、パソコンで打って難聴で補聴器を付けている母親に書いてくれましたので、後はもう心配ないと思えたのも束の間、次は葬儀を行う準備に取りかからなければなりませんでした。
年齢が年齢でしたので、祖母にもしもの事が起こった時の為にSシティーホールでの貯蓄をしていたのか、一人当たり約250万の高額な費用でも問題はありませんでしたが、その分手間がかからず豪華な写真等のメモリアルや花束も用意してくれましたから、祖母がまるで若返ったかの様にキレイな写真撮影をしてくれましたから、恐らく祖母も嬉しくはないにしても安心して逝く事が出来たのではないだろうかと感じた程でした。
母親側の他界した祖母は祖父時に購入していたお墓へ入り、母親も同じところにしたいというのに対し父親は別のお墓を購入しているので、その点で少し揉めたのを知り、どちらにも入りたくないと決めた私自身は海洋散骨にしようと決めている我が家らしい方法を先に決めておくべきでした。