建築家の磯崎新(いそざき・あらた)さんが28日、老衰のため死去した。磯崎さんと共著の刊行がある建築史家・東北大大学院教授の五十嵐太郎さんの話は以下の通り。
20世紀後半の日本の建築界に磯崎新さんが登場したことは、重要な意味を持つ。彼は1960年代から半世紀以上にわたり、モダニズム以降の建築界をけん引しただけでなく、国際的かつ横断的な文化活動において特筆すべき業績を残し2019年、プリツカー賞を受賞した。
前者については、成長する建築を試みた旧大分県立大分図書館(1966年)、形態の自律性を掲げた群馬県立近代美術館(74年)、ポストモダン的な引用をちりばめたつくばセンタービル(83年)など時代ごとに新しい作風を展開し、時流の転回点となる話題作を発表している。一方で60年代の空中都市、情報化の未来を構想したコンピューター・エイデッド・シティ(72年)、超高層を批判した東京都新都庁舎のコンペ案(85年)など、実現しない案を通じた問題提起も注目された。また彼の事務所は、さまざまな次世代の優秀な建築家を輩出している。
後者については、国際的な建築家の交友関係を作り、次世代の日本人建築家が海外に飛びだす足がかりとなったほか、文化施設を数多く手がけ、アーティストや文化人との幅広いネットワークを構築しながら、建築の可能性を広げた。世界的に見てもけうな人物だった。
磯崎さんは思想や歴史にも造詣が深く、「空間へ」(71年)や「建築における『日本的なもの』」(2003年)など、膨大な著作を刊行し、建築・都市論の言説をリードした理論家でもある。コンペの審査員、展覧会やシンポジウムの企画、プロジェクトのコーディネーター、他分野とのコラボレーションでも歴史的な出来事を起こし、多才ぶりを発揮した。
なお、知的な好奇心が強く、独特な嗅覚を持ち、常に若い世代との交流に積極的であった。西洋建築史を語る「磯崎新の建築談議」のシリーズ本で、私が対話の相手に指名されたきっかけは「エヴァンゲリオンの批評も行う新しいタイプの建築の専門家」だから、という理由だった。