早乙女勝元さん、東京大空襲の記録と継承に尽くした90年の生涯が死去

10万人が亡くなった東京大空襲の体験者として、生涯をかけて、記録と体験の継承活動を続けた作家の早乙女勝元さんが死去した。90歳だった。背中を追ってきた人々からは惜しむ声とともに「戦争の惨禍をどう伝えるかに命を燃やした思いをくみたい」と活動を受け継ぐ決意が聞かれた。

12歳のとき、1945年3月10日未明の東京大空襲に遭い、著作の発表とともに、70年に結成された「東京空襲を記録する会」の中心となった。2002年から「東京大空襲・戦災資料センター」(東京都江東区)の初代館長として17年間務めた。

センターによると、早乙女さんは子どもたちに「知っているのなら伝えよう。知らないなら学ぼう」と語りかけ、戦後世代に伝わりやすい映像などの展示を心がけてきたという。爆撃機B29搭乗員で、後に日本軍の捕虜になった米軍兵士との交流を続けた。光が当たっていなかった朝鮮人の空襲被害にも着目。センター内に紹介するコーナーを設けた。

後を継いでセンターの館長を務める吉田裕・一橋大名誉教授(67)は「大きな後ろ盾を失い、喪失感は大きい」と語った。今年は戦後77年。「『どのように継承するか』だけでなく『なぜ継承が大切なのか』にも答えないといけない時代になった。戦争の非体験者を伝承者とする育成にも力を入れていきたい」

早乙女さんは国の補償から取り残された民間人の戦争被害に目を向け、空襲被害者救済法の成立を求める「全国空襲被害者連絡協議会」(墨田区)の共同代表も務めた。東京大空襲で母と2人の弟を亡くした同会の河合節子さん(83)は「物静かだが内に秘めたものを持つ方。国に補償を求める訴訟で証言者として法廷に立ってくれるなど運動の精神的な支柱だった」と悼んだ。救済法案は超党派の議員連盟が国会提出を目指す。「(立法に向けて)これからも頑張らなければ」と声を振り絞った。

17年に早乙女さんの話を直接聞いた同会の福島宏希さん(40)は「『生きている限り不条理と闘い続ける』と話していた通りに生き抜かれた。遺言だと思い、なんとか立法を実現させたい」と語った。【南茂芽育】

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