日本のジャズ・ビッグバンドの創始者として知られるジャズサックス奏者の原信夫(はら・のぶお、本名・塚原信夫=つかはら・のぶお)さんが21日、肺炎のため亡くなった。94歳だった。葬儀は近親者で営む。喪主は長男とも也(ともや)さん。
富山県出身。16歳で旧海軍軍楽隊に入り、アルトサックスを学ぶ。1951年、米軍キャンプで演奏していた原さんがリーダーとなって「原信夫とシャープス&フラッツ」を結成、人気・実力とも日本屈指のバンドとなり、ビッグバンドの黄金期を支えた。63~74年にNHK紅白歌合戦に連続出演を果たし、欧米やアジア各国でも公演し、海外にも活動の幅を広げた。
美空ひばりさんや江利チエミさんらのバックバンドを務め、作曲を担当した美空さんの「真赤な太陽」(67年)は140万枚を売り上げる大ヒットとなった。80年代からは中学・高校で鑑賞会を開いてビッグバンドの普及にも尽力するなどし、80歳を超えた2010年まで活動を続けた。88年に紫綬褒章を受章した。