「木内マジック」と呼ばれる巧みな選手起用で知られ、甲子園で3度の優勝経験がある常総学院(茨城県)野球部元監督の木内幸男(きうち・ゆきお)さんが24日、肺がんのため亡くなった。89歳。葬儀の日程は未定。
同県土浦市生まれ。土浦一高で野手として活躍後、コーチ、監督を務め、1957年に取手二高の監督に就任。84年夏の甲子園で、桑田真澄投手や清原和博選手を擁するPL学園(大阪)を決勝で延長戦の末破り全国制覇を果たした。
同年秋から常総学院に移り、87年夏と94年春に準優勝、2001年春と03年夏に優勝。03年夏に監督を退き05年に総監督に就任したが、07年に監督に復帰。11年夏の茨城大会で敗れた後、高齢であることなどを理由に勇退した。12年2月に取手市名誉市民となった。
甲子園には通算22回出場(春7回、夏15回)し40勝19敗。通算勝利数は高嶋仁元監督(68勝、智弁和歌山など)、中村順司元監督(58勝、PL学園)らに次ぐ歴代7位。
相手選手の微妙な心理状態まで分析して強攻策やスクイズを指示、思い切った選手起用で勝ちにこだわる采配は「木内マジック」と呼ばれた。茨城弁で持論を展開する「木内節」も高校野球ファンに親しまれた。プロ野球・元横浜の仁志敏久さん、元日本ハムの金子誠さんは教え子。