日米が開戦した1941年12月8日にスパイ容疑で逮捕され、戦後27歳で亡くなった元北海道帝大生の兄、宮沢弘幸さんの無実を訴えてきた秋間美江子さんが、移住先の米国で亡くなった。93歳だった。いわれのない「スパイの家族」の汚名に生涯苦しんだ。「こんな悲しい家族をもうつくらないで」と常々訴えていた。
東京生まれ。秋間さんによると、14歳で女学生だった41年、警官数人が突然家に上がり込み、外国語の本やレコードを壊した。尾行され、石を投げられたこともあったという。
理由は兄。進学して札幌にいた兄は当時の軍機保護法違反に問われて特高警察に逮捕された。米国人講師夫妻に情報を漏らしたとされたが、主な容疑は公然と知られていた海軍飛行場の場所を教えたことだった。懲役15年の判決で服役。戦後「骨と皮」のようになって出獄、2年もたたずに結核で亡くなった。
兄の死後も一度付けられた烙印(らくいん)におびえ続け、65年に夫とともに米国に移住した。
80年代後半に体験を語り始め、国家秘密法案(廃案)の再提出に反対。2013年の特定秘密保護法成立を危惧し、14年に病身を押して来日。札幌や東京で講演して「自分と同じように苦しむ人をつくってはいけない」と国が「秘密」を決める恐ろしさを訴え、同法廃止を訴えた。16年にも来日した。
家族ぐるみで付き合った千葉市の山野井孝有さん(88)は「気力でお兄さんの汚名をそそごうとした。もう少し生きてほしかった」と話した。【青島顕】