映画「時をかける少女」などの「尾道3部作」で知られる映画監督、大林宣彦さんが10日、肺がんのため死去した。82歳。葬儀は家族で営む。後日お別れの会を開く。喪主は妻恭子(きょうこ)さん。
◇
故郷の尾道市では逝去を惜しむ声が上がった。
「尾道3部作」など1981年以降の尾道ロケ作品を担当した地元のプロデューサー、大谷治さん(68)は「とても大切な人を亡くした」と肩を落とした。大林監督の尾道ロケ作品は17本を数え、大谷さんは「古里への愛着の表れ」と話す。
映画は世代を超えて共感を呼び、今も全国から多くの大林ファンがノスタルジックな風景を求めて尾道を訪れる。「映画のまち・尾道」を確立したのも大林監督だった。一方で大林監督はロケ地を示す案内板設置には一貫して抵抗。大谷さんは「看板ではなく作品を見てほしい。それが監督の願いだった」と振り返る。
20年ぶりの尾道ロケ作品で反戦をテーマにした「海辺の映画館 キネマの玉手箱」が遺作となった。大谷さんは「死期を悟っていたのではないか。人の思いは時代を乗り越えられるというメッセージを送り続けた」と悼んだ。
大林監督は古里にエールを送り続けた。2001年に尾道に唯一あった映画館が閉館した際は、復活へ奔走する若者を激励し、資金を援助した。よみがえった映画館「シネマ尾道」(河本清順館長)などでは今年2~3月に「尾道映画祭」が計画され、大林監督も舞台あいさつをする予定だった。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大で中止に。河本館長は「スクリーンは銀色がいいと助言され、映画館の復活をとても喜んでくれた。監督に『お帰りなさい』と言いたかった」と話した。【渕脇直樹】
2018年1~3月に大林監督の80歳を記念した「大林宣彦映画祭」を行った大阪市西区のミニシアター「シネ・ヌーヴォ」の景山理(さとし)代表(65)は「さみしい」と言葉を詰まらせた。映画祭では自主製作の「喰(た)べた人」(1963年)をはじめ約40本に上るほぼ全作品を網羅。舞台あいさつに訪れた大林監督は既にがんを患っていたが「観客の前ではシャンとして、トークがどんどん長くなるので止めようとしたら怒るんです。観客を何よりも大事にする方で『映画は見てもらってなんぼ』という思いが誰よりも強かった」と話した。【倉田陶子】
大林さんは「大分3部作」として大分県臼杵市などを舞台にした「なごり雪」を2002年、「22才の別れ Lycoris――葉見ず花見ず物語」を07年に公開した。当時の臼杵市長、後藤国利さん(80)は「朝から晩までいろいろなものを撮っており、映画ってこんなに大変なものなのかとバイタリティーに驚いた。臼杵のことを『いい町だ。いいところがたくさん残っている』と評価してくれた」と振り返った。19年に大林さんが大分市を訪ねた時に会ったのが最後だったといい「映画への情熱を原動力に最期まで頑張られていた」と悼んだ。