有本嘉代子さん死去 94歳、拉致被害者・恵子さんの母 講演活動で全国駆け回るが死去

北朝鮮による拉致被害者、有本恵子さん(行方不明当時23歳)の母有本嘉代子(ありもと・かよこ)さんが3日午後、心不全のため亡くなった。94歳だった。三女恵子さんを含む1男5女の母。夫明弘さん(91)とともに、北朝鮮に拉致された恵子さんとの再会を待ちわびたが、かなわなかった。

ヨーロッパ留学中だった恵子さんは1983年10月に突然消息を絶った。88年9月、拉致被害者の石岡亨さん(同22歳)の家族に届いた手紙がきっかけで、恵子さんが北朝鮮にいることが分かった。

救出を求めて外務省や国会議員事務所を巡るなど奔走し、97年3月には明弘さん、拉致被害者の横田めぐみさん(同13歳)の父滋さんと拉致被害者家族連絡会(家族会)を結成。2002年9月の日朝首脳会談で北朝鮮が伝えた「死亡」という情報は「絶対にうそだ」とし、署名活動や講演のために全国を駆け回った。

ヨーロッパ滞在中の恵子さんから届いた22通の手紙を常に手元に置き、「死ぬまでの仕事と思って訴えたい」と80歳を超えてからも精力的に活動を続けた。

ここ数年、嘉代子さんは心臓の持病などで体調が悪く、外出する際には車椅子を使っていた。入退院を繰り返しており、今年1月12日に自宅で開いた恵子さんの還暦を祝う誕生会も、腰を痛めて入院しており参加できなかった。19年の恵子さんの誕生日の時、嘉代子さんは「一日も早く帰ってきて、残りの人生を日本で過ごしてほしい」と訴えていた。

有本嘉代子さんの夫明弘さん(91)はコメントを公表した。要旨は以下の通り。

先日から入院していた妻の有本嘉代子が2月3日午後、心不全のため息を引き取りました。

これまで安倍晋三首相をはじめ多くの方々に励ましやご支援をいただきながら、北朝鮮に拉致された恵子を取り戻すために、嘉代子と二人三脚で頑張ってきましたが、妻は力尽きてしまい今は全く気持ちの整理もつかない状態です。

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