「非武装中立論」石橋政嗣・元社会党委員長死去 95歳 中曽根元首相らと論戦が死去

旧社会党委員長を務め、自衛隊の「違憲合法論」を唱えた石橋政嗣(いしばし・まさし)さんが9日、老衰のため死去した。95歳。葬儀は12日に福岡市内で近親者で営んだ。

1924年、台湾生まれ。熊本県の陸軍予備士官学校を経て、終戦後、長崎県佐世保市で米軍基地従業員として働いた。雇用不安のうわさから労働組合を結成して書記長に就任し、51年に社会党から同県議選に出馬し当選。55年の衆院選で、30歳の若さで初当選した。

60年の「安保国会」では、後に石橋さんの前任の社会党委員長となる故飛鳥田一雄氏らとともに論陣を張り「安保5人男」と呼ばれた。論客として鳴らし、66年には自衛隊解体、日米安保解消のプロセスを示した「石橋構想」を発表。これが80年に著した「非武装中立論」の原形になった。

党内でも総務局長、国際局長、書記長、副委員長を歴任して政策、財務、党務の三つをこなした。83年9月、スター性と実力を期待されて党委員長に就任。政権を目指す政党として「ニュー社会党」を宣言する一方、自衛隊を「違憲だが法的存在」とする違憲合法論を展開、当時の中曽根康弘首相らと論戦を繰り広げた。

86年7月の衆参同日選で党が大敗したのを受け、同年9月に委員長を辞任。90年2月の衆院選に出馬せず、政界を引退した。以後、ほとんど公の場に姿を見せることはなく、社会党が「社会民主党」と名前を変えた96年に離党した。

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