「クリーンさ」で白羽の矢 20世紀の転換期、職務全う 海部元首相が死去

1989年から約2年3カ月にわたって首相を務めた自民党の海部俊樹(かいふ・としき)さんが9日、老衰のため死去した。91歳だった。

20世紀を重苦しく支配してきた国際政治の構造が崩壊し、高度成長の投影でもあった「カネにあかせた政治」が断末魔の叫びをあげていた時期、自民党総裁・首相に、しかも突如選ばれたのが海部俊樹氏だった。どんなに経験豊富でも、この時期の激動には目を奪われただろう。まして心構えも閣僚経験も浅い。戸惑いの日々だったろう。

参院選が週末の投票で自民大敗が必至の情勢となっていた1989年7月半ば、筆者は東京・三番町のマンションに海部氏を訪ねた。夜8時半、「(選挙応援に走り回って)まだ不在では」と思いつつベルを押すと、意外にも在宅されていた。

選挙見通し、宇野宗佑首相(当時)退陣の場合の後継について尋ねた。同じソファに妻幸世さんも座り、手芸をしながら時折口をはさまれた。穏やかなひと時、それから10日後に総裁候補に上る気配は、みじんもなかった。

「海部俊樹回想録 自我作古」によれば、突如知ったのは投票から5日後。国会の前庭を歩いていると、当時の田村元(はじめ)衆院議長に手招きされ、「海部君、えらいことになるぞ。断るなよ、君が総裁になるんだよ」と伝えられた。宇野氏後継への担ぎ出しは、自らの意思や意欲の届かぬところで固められていた。竹下登元首相ら実力者が軒並みリクルート事件・疑惑にまみれた中、恩師・三木武夫元首相の遺訓「信なくば立たず」を胸に、その「クリーンさ」を守ったがゆえに白羽の矢が立った。

識者を呼び、猛然とあらゆる政策を勉強し始めた海部氏だったが、官房副長官と文相を歴任しただけであり、「本当に務められるか、気弱な考えが頭をもたげた」(回想録)という。筆者も密着取材する中、「地球温暖化を防ぐには、フロンガスの問題を」と話すのを聞き、あわてた。海部氏へ直言できる先輩記者に「地球温暖化とオゾン層破壊を混同しておられますよ」と、ご注進に及んだこともあった。

首相就任からちょうど3カ月後にベルリンの壁が崩壊、翌90年8月2日にはフセイン大統領率いるイラクがクウェートに侵攻し、ブッシュ(父)米大統領からの「ブッシュホン」で自衛隊の派遣、巨額の財政支援を求められた。130億ドルもの歳出が国際社会からは一顧だにされず、それらが後の国連平和維持活動(PKO)協力法の成立につながった。

悲願の政治改革は実現へ自ら発した「重大な決意」が当時、自民党竹下派会長だった金丸信氏の逆鱗(げきりん)に触れ、2年3カ月で退陣を余儀なくされた。しかし、各界からの追悼の辞に必ず添えられた「人柄」が備わっていたからこそ、未曽有の転換期にも信頼を損なわず、職務を全うされたのだと思う。【毎日新聞元論説委員・榊直樹】

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