長崎県立国見高(雲仙市)サッカー部の監督・総監督として無名だった同校を全国高校サッカー選手権優勝6回の名門に育て上げた現長崎総合科学大付高(長崎市)サッカー部監督の小嶺忠敏(こみね・ただとし)さんが7日、肝不全のため死去した。76歳。通夜は8日午後7時、葬儀は9日正午、同県南島原市深江町丁4593のセレモニーホール寶玉殿。自宅は同市有家町石田1544の2。喪主は妻厚子(あつこ)さん。
長崎県生まれで、県立島原商高、大阪商業大を経て、島原商高教諭に。1977年の全国高校総体で同校を初の日本一に導いた。