長崎県立国見高(雲仙市)サッカー部の監督・総監督として、無名だった同校を全国高校サッカー選手権優勝6回の名門に育て上げた現長崎総合科学大付高(長崎市)サッカー部監督の小嶺忠敏(こみね・ただとし)さんが7日、死去した。76歳。
長崎県生まれで、県立島原商高、大阪商業大を経て、島原商高教諭に。1977年の全国高校総体で同校を初の日本一に導いた。
84年に着任した国見高でも監督としてサッカー部を率いた。教頭を経て校長に就任した2000年からは総監督として指導を続けた。全国高校サッカー選手権の優勝6回は戦後最多タイ。国体などを含む全国大会への出場回数は100回を数え、うち優勝は17回。元日本代表の大久保嘉人さんら多くのJリーガーを輩出した。